日経ナショナル ジオグラフィック社

アームストロングが月面で最初に採取したサンプルをテフロン袋に入れたときにも、袋の外側に細かい塵が付着した。地球に持ち帰るために、サンプルはテフロン袋ごと「LUNAR SAMPLE RETURN(月サンプルリターン)」と書かれたジッパー付きの保護袋に入れられた。今回出品されたのは、保護袋の内側の繊維に入り込んでいた粒子だ。

スタックハウス氏は、この塵を見ると「歴史的な瞬間を間近で見ているような気がします」と話す。「ある意味、タイムマシンのようなものです」

歴史的な月面着陸を終えたニール・アームストロングとバズ・オルドリンが乗った着陸船が、月面から離れたところ。撮影したのは、軌道上の司令船に残ったマイケル・コリンズ。遠くに地球が見えているこの写真には、コリンズ以外の全人類が写っていると言われることがある(NASA)

不正のち訴訟

数十年前、NASAは保護袋を含む品々をカンザス州ハッチンソンにあるコスモスフィア宇宙博物館に貸し出した。しかし、いつの間にか保護袋は行方不明になってしまった。

同博物館のマックス・アリー元館長が2002年に退任した後、スタッフは行方不明の品々の調査を始めた。その結果、アリー氏が博物館の所蔵品を個人的なコレクションと一緒に売却し、利益を着服していたことが明らかになった。アリー氏は、詐欺、窃盗、マネーロンダリングの罪で、3年の禁錮刑と13万2000ドル(約1660万円)の罰金を言い渡された。

連邦政府がアリー氏の財産を捜索したところ、さらに多くの貴重な品々が見つかった。押収品の中にはサンプルリターンの保護袋も含まれていたが、カタログ番号が間違っていたため、当局は当時、その重要性に気付かなかった。連邦保安局は、アリー氏から押収した宇宙関係のコレクションをネットオークションに出品し、罰金の支払いに充てた。

イリノイ州インバネスに住むナンシー・リー・カールソンさんは、この白い袋と、繊維の中に入り込んでいた塵を、わずか995ドル(約12万円)で落札した。彼女がこの袋が本物であることを確認してもらうためにNASAのジョンソン宇宙センターに送ったところ、衝撃的な答えを受け取った。袋は本物だっただけでなく、中に入っていた塵が、アポロ11号の乗組員が持ち帰った最初の月のサンプルの特徴や組成と一致していたのだ。

NASAの方もこれに驚き、国の宝だとして袋の返還を拒否した。NASAの広報担当者ウィリアム・ジェフス氏は2017年の声明で、「これは個人が所有すべきものではありません」と述べた。「科学的に価値が高いだけでなく、ある世代の米国人が関わった大規模な国家事業の成果だからです」

カールソンさんは黙っていなかった。彼女は袋の返還を求めてNASAを訴え、勝訴して袋を取り戻すと、2017年にオークションに出品して180万ドル(約2億3000万円)で売却した。ちなみにNASAは、今回のオークションについて何度もコメントを求められているが、一度も回答していない。

2年後、カールソンさんは再びNASAを訴えた。NASAが調査の際に袋を損傷したうえ、中に入っていた月の塵の一部をまだ返していないというのだ。実際、NASAの科学者は、袋の繊維に入り込んでいた月の塵の一部をカーボンテープにくっつけ、分析のためにアルミ製の小さな試料台に貼り付けて保管していた。カールソンさんは、袋が当初の見積額よりも安い値段でしか落札されなかったのはそのせいだと主張した。

その後、NASAはカールソンさんと和解し、塵を貼り付けた6個の試料台のうち5個を彼女に返却した。それが、今回ボナムスでオークションにかけられたサンプルだ。

次のページ
科学への影響