日経ナショナル ジオグラフィック社

例えば、「白貂(しろてん)の毛皮をまとう貴婦人」と題された絵画は、スペインに住んでいたクレタ島出身の画家エル・グレコのものとされてきたが、近年になってソフォニスバによるものではないかという意見が現れた。そこで2019年、絵の所有者である英グラスゴーのポロック・ハウスとマドリードにあるプラド美術館が共同で調査を実施した。その結果は、エル・グレコでもソフォニスバでもなく、アロンソ・サンチェス・コエリョが作者であるというものだった。

「白貂の毛皮をまとう貴婦人」。1577~79年ごろ。作者はソフォニスバまたはアロンソ・サンチェス・コエリョ(ALBUM/ORONOZ)
カタリーナ・ミカエラ王女。1584年。 作者はソフォニスバまたはアロンソ・サンチェス・コエリョ(ARTEFACT/ALAMY)

この結論は多くの歴史家に受け入れられたが、それでもやはりソフォニスバが作者だとする意見も根強い。絵のモデルとなった女性の正体も不明だが、作者がソフォニスバだと考える歴史家は、モデルはフェリペ2世とイサベル王妃の娘カタリーナ・ミカエラだとしている。だとすると、気になるのはもう一枚のカタリーナ王女の肖像画だ。こちらは、プラド美術館によるとサンチェス・コエリョの作品だというが、これもまた別の専門家はソフォニスバが描いたに違いないと主張している。この絵が描かれた1584年、カタリーナ王女はマドリードを離れてサボワに滞在していた。そしてサボワは、ソフォニスバが当時住んでいたジェノバに近い。

その後の人生

1573年、フェリペ2世は持参金を与え、ソフォニスバとシチリア島の貴族ファブリツィオ・モンカーダとの結婚を認めた。マドリードで行われた結婚式には、当時6歳と7歳だった王女たちも参列した。夫婦はシチリアに新居を構えたが、1579年、ファブリツィオが海賊によって殺され、結婚生活は突然終わりを迎えた。

ソフォニスバは家族がいるイタリア北部に戻ったが、後に再婚してジェノバに住んだ。この時に、成人したカタリーナ王女を描いた可能性がある。ジェノバには35年住み、80代に入ってほとんど目が見えなくなると、2番目の夫とともにシチリアに戻った。

ソフォニスバの肖像画。1624年にソフォニスバを訪ねたアンソニー・ヴァン・ダイクが後に描いたもの(NATIONAL TRUST PHOTOGRAPHIC LIBRARY/BRIDGEMAN)

1624年、若きバロック画家アンソニー・ヴァン・ダイクは、スペイン国王を描き、ミケランジェロとも交流があったという女性画家に興味を持ち、ソフォニスバを訪ねた。後に年老いたソフォニスバの肖像画を描いたヴァン・ダイクは、スケッチブックにこの時の訪問について書き残している。「彼女は、自分がいかに奇跡的な肖像画家であったかを振り返り、視力の衰えにより絵が描けなくなってしまったことが人生で最大の苦しみだったと語った。手の方はいまだに震えることもなく、しっかりしていた」

ヴァン・ダイクが、1624年にソフォニスバに会った時のことを書き記したスケッチブック(THE TRUSTEES OF THE BRITISH MUSEUM/SCALA, FLORENCE)

1625年、ソフォニスバ・アングイッソラは、シチリア島パレルモで93年の生涯を閉じた。サン・ジョルジョ・デイ・ジェノヴェージ教会にあるソフォニスバの墓には、2番目の夫が書いた墓碑銘が刻まれている。「ソフォニスバへ。その美しさと天賦の才能で世界に輝いた女性。人間の姿を描くことにおいては、同時代の何者もあなたに及ばない」

(文 ALESSANDRA PAGANO、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年6月15日付]