国王の建設プロジェクトの責任者は王妃の造園チームに対し、「あるときは直線を描きながら」、あるときは曲線的に、観賞用の低木の間を園路が続くと説明している。18世紀の庭師たちが季節の植物を補充する際に出した注文書も、修復チームにとって有益な情報だった。

1818年の版画。王妃の木立に植えられた多くの樹種の一つであるユリノキの花が描かれている(PHOTOGRAPH BY HUM IMAGES, UNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY IMAGES)

「まるで探偵になった気分でした」とシャンピーニ氏は振り返る。「植物の名前は時代とともに変わることがあります。例えば、ユリノキは『白い木』あるいは『黄色い木』と呼ばれることがありました。これらは初期の植物学者がアメリカ先住民の言葉をそのまま翻訳したものです」

今回の修復では、庭師5人(繁忙期は10人)のチームが樹木21種650本、花を咲かせる低木46種6000本、ユリノキ147本(それぞれに寄贈者がいる)、バラ600本を植えた。当時のバラの多くは現存しないため、マリー・アントワネットが好んだ繊細な色、豊かな花びら、香りを条件に、チームが38品種を選んだ。

18世紀に植えられた3本のユリノキ、コルシカ島の見事なヨーロッパクロマツなど、1999年の嵐を乗り越えた数少ない老木も展示されている。

米国バージニア州からやって来たユリノキはオレンジと淡い緑の花を咲かせ、マリー・アントワネットのお気に入りになった(PHOTOGRAPH BY SERHII HUDAK, UKRINFORM/FUTURE PUBLISHING/GETTY IMAGES)

王妃の木立はマリー・アントワネットに安らぎをもたらしたが、いわゆる「首飾り事件」によって、王妃を破滅へと導いた場所でもある。

1784年、王妃に取り入ろうとした枢機卿が、王妃のふりをするある女性とここで密会を果たした。翌年2月、何も知らない王妃のために、枢機卿がダイヤモンドのネックレスを法外な高値で購入し、仲介役を名乗る伯爵夫人に渡してしまう。裏ですべての糸を引いていた伯爵夫人はネックレスを受け取るとすぐ、バラバラにして売り払い、ぜいたくな暮らしを送るための資金にした。

このスキャンダルが広まると、事実無根のうわさが流れ、王妃の評判は地に落ちた。この事件をきっかけに、長くくすぶっていた不満が炎となり、最終的に王制は崩壊した。

王妃の木立のイラスト。曲がりくねった小道と左右対称の幾何学構造が組み合わせられており、英国とフランス両方の影響が見られる(COURTESY CHATEAU VERSAILLES)

しかし、1789年にベルサイユ宮殿から強制退去させられるまで、不遇の王妃は植物の世界に逃げ込むことができた。錬鉄製の門の奥にある王妃の木立は、緑豊かな曲がりくねった小道を歩きながら、物思いにふけることができる場所だった。

「この植物のパレットは四季を通じて感動を呼び起こし、五感に訴えるようデザインされていました」とシャンピーニ氏は語る。「現代の訪問者にも当時と同じ驚きを味わってもらいたいというのが私たちの願いです」

(文 MARY WINSTON NICKLIN、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年4月10日付]