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レトロ喫茶「邪宗門」 語り継がれる物語

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NIKKEI STYLE

「邪宗門」という、北原白秋の詩集の名をつけた喫茶店が全国に5店ある。始まりは、名和孝年さんという独特の空気をまとったマジシャンが、戦後間もなく東京・吉祥寺に開いた店。その人柄に心酔した常連客たちが思い思いに同名の店を各地に設け、個性的な店主と構えがコーヒー愛好者らを招き寄せた。今や昭和の面影色濃いレトロ喫茶の聖地と目され、昨今のブームで若い世代も足を運ぶ。ただ、すでにそれぞれの事情で看板を下ろし、名のみが遺(のこ)る店もある。邪宗門の物語をひもとけば、一様ではない「名店」の軌跡が浮かび上がる。

世田谷邪宗門、ランプやアンティークが飾られる店内

東京・代田の住宅街、民家に両脇を挟まれて、世田谷邪宗門が秋の陽を浴びていた。店内に足を踏み入れると、天井からつり下がる色も形もとりどりのランプが来店客を出迎える。褐色の板とレンガ積みの壁には年代物の時計やカメラ、骨董品の火縄銃などが所狭しと飾られ、奥の一室は門主(邪宗門の店主はこう名乗る)夫人の趣味で美空ひばりさんのコレクションが客席を囲む。まさに店そのものが年代物だ。ブレンドはほどよい酸味のモカベース。黒蜜の代わりにコーヒーをかけた「あんみつコーヒー」が名物の一つだ。

門主の作道明さんは1934年生まれの88歳。53年に富山県から上京し、丸井に勤めていた時にマジックに興味を持った。当時は東京・国立にあった邪宗門を訪れたところ、客の前でマジックの腕前を披露する名和さんの姿に感激し、脱サラして65年にこの店を開く。店名は名和さんの許しを得て同じく「邪宗門」とした。実は作道さんをはじめ、各門主はマジックの縁でもつながっている。

「トランプを、こう、バリバリッて操る名和さんが格好良くてね。当時はコーヒーに詳しい人なんてあまりいなかった。でも喫茶店を開くにはいい時代でした。開店した時のコーヒーはたしか1杯50円。名和さんは『もうからないよ』って言ってたけど、自分は、お客さんの前でマジックを披露できるのが楽しくて。夢中になって注文とるのを忘れて叱られたこともある」

そう言ってほほ笑む作道さんは、名和さん仕込みのコーヒーとマジックに精進。店はさながら門主のステージとなり、立地には恵まれないながら多くの地元客らに愛されてきた。常連客には作家の森茉莉さんなどがいた。

邪宗門の祖、名和さんは福岡県の出身。マジックのほかアマチュア無線や模型づくりなど趣味は多彩だった。戦前、船舶の通信士として海外を巡り、コーヒーやアンティークの知識、そして無国籍の風情を身につけた。戦時中は輸送船の乗員となる。ある時、日本に帰港すると父親が病気というので帰郷した。その間に出航した自分の船が米軍に沈められ、運良く難を逃れたという逸話もある。戦後間もなく吉祥寺に邪宗門を開くと、ほどなく繁盛店となったが、大家の都合で閉店を余儀なくされ、55年に東京の国立に移転開業した。

荻窪邪宗門、絵画や古道具を照らすペンダントライト

その年に2軒目の邪宗門を開いたのが、名和さんのマジックの一番弟子とも言われる風呂田政利さんだ。26年生まれで名和さんと同郷。地元の北九州で立ち上げた模型クラブで知り合った。55年に妻の和枝さんと上京し、結核の療養中に学んだ写真の技術を生かして荻窪にDPE(写真の現像・焼き付け・引き伸ばし)店を開いたものの、現像の機械化が進むなかで営業を断念。名和さんの勧めもあって同年に喫茶店を開くことにした。

この荻窪邪宗門も健在だ。政利さんが2003年に77歳で他界して以来、和枝さんがスタッフの力を借りながら店を支えてきた。今年で92歳。上品な語り口と笑顔が客を和ませる。

胸をつくような階段を上った2階に20席ほどの客席が並ぶ。板壁と天井は黒光りし、いくつものペンダントライトが絵画や古道具を照らす。欧州のハーフティンバー様式を取り入れた構造は世田谷邪宗門と共通する。ストレートのほかウインナやカプチーノ、アイリッシュなどのアレンジコーヒーとメニューは豊富。ほの暗い空間は、コーヒーと、緩く流れる時間を慈しむのにふさわしい。

「いろんな人に会えるから、お店に立つのは楽しいですね。海洋生物学者だった息子は、いつでも家に入っていいよって言ってくれますが、ほかに生きる方法もないし、ここを離れるわけにはいきません」と和枝さん。続けられるだけは続けたい、という。

政利さんはマジックを名和さんから手ほどきされた後、世界的マジシャンの石田天海さんに師事(和枝さんも同じく門下生になった)。カードマジックの第一人者となり、創作奇術の「石田天海賞」の創設、専門誌の発行などに尽力した。「趣味が多くて、凝り性で、始めたらとことん突き詰める性格でした」(和枝さん)。こうしたところは名和さんに相通じるものがあるそうだ。

名和さんとはどんな人物だったのか。荻窪邪宗門のテーブルには、国立邪宗門の写真とともに、髪をオレンジに染め、赤いキャップをかぶった晩年の名和さんの切り抜き写真が貼られている。日本人離れした、風変わりな容姿。1978年に撮られた、他の門主たちと並ぶ写真には、スリムでひときわ背が高く、彫りの深い顔立ちで柔らかく笑う姿が映っている。こちらはダンディーな紳士だ。

「ちょっと異様な雰囲気というか。でも優しくて、腰が低くて、おしゃれで。サービス精神も旺盛で、ほかの店でコーヒーを飲んでいても、お客さんがくると『いらっしゃいませ』って挨拶しちゃうような人だった」(作道さん)

「ルノーの小さい車に乗っていらしたけど、ちょっと違反をした時に警察官が来て、名和さんが黙って頭を下げたら、外国人と思って向こうに行ってしまったって。あの方は『いらっしゃいませ』と言う時、頭を下げるんじゃなくて、膝を折って会釈するの。そうすると周りの雰囲気がえもいわれぬものに一変して。すごくすてきな方でした」(和枝さん)

東京の久我山にあった邪宗門門主の小野正さんは、かつて長女にこう話したという。「あの人は知識が豊富だったけど、決してひけらかさなかった。訳知り顔の人が知識を自慢していると、たとえ自分が承知している話だったとしても、ウンウンと笑って聞いてあげるような人だった」

縁ある人たちの証言からは、ひょうひょうと自由な雰囲気を漂わせ、柔和で、人を楽しませるのが好きな、そんな人柄が浮かび上がる。この人間性が国立邪宗門を「伝説の店」と言わしめるほどに客を呼び寄せ、熱烈なファンを生み、同名の喫茶店が増殖していった。挙げれば国立、荻窪、世田谷、久我山のほかに、東京の桜ケ丘、下田(静岡県)、石打(新潟県)、高岡(富山県)、小田原(神奈川県、鎌倉から移転)を数える。関係者によれば、70年代のごく短期間だけ千葉にもあったようだ。

レンガづくりの国立邪宗門の店内は、名和さんが集めた古時計や人形、船の模型、火縄銃、その他アンティークなどで埋め尽くされ、いくつものライトに照らされていた。まさに邪宗門の店づくりの原型だ。レンガは名和さん自身が積み上げた。コーヒーの味の評価も高く、「あの頃どこにもなかったウインナコーヒーを飲んで、こんなうまいもんはないと思った。豆をひくミルを置いている店は、邪宗門のほかはあまりなかった」(作道さん)。人を和ませる空間づくりと味へのこだわりは、確かに他の門主たちへと引き継がれた。

この店も2008年12月、名和さんが88歳で亡くなるとともに閉じられた。生前から「この店は僕の一代限りだよ」と話していたという。店の実存は、その店主とともにある、という考えだったのか。桜ケ丘は12年、小田原も19年に閉店した。マジックやゲームの同好の士でにぎわった久我山は、大家の建て替えの都合もあってやむなく1986年ごろに閉めた。3年前に84歳で他界した門主の小野さんは生前、無念さを時折口にしたという。

下田邪宗門、江戸末期の船大工の手に成る建物

現在も営業している下田邪宗門の開業は1966年。門主の神尾吉郎さん(2015年に78歳で他界)は名和さんから教わったマジックに夢中になり、プロ級の腕前になった。小野さんとは国立邪宗門のレンガ積みをともに手伝い、マジシャンとして一緒に地方回りをした仲。先に挙げた門主勢ぞろいの写真は神尾さんの結婚式で撮られたものだ。

現在、店を運営する夫人の敏子さんによれば「唯一やっていない仕事はサラリーマン」という吉郎さんは多趣味な人で、楽しみながらコーヒーと店づくりにこだわった。コーヒーは浅煎りのモカベースで、ウインナコーヒーも酸味が利いた独特の風味。名和さんと考案した和紙のフィルターはコーヒーオイルをしっかり抽出できる。

店は江戸時代末期の船大工の手に成る建物で、正面になまこ壁をあしらい、船底を逆さにした屋根の中央を黒光りする竜骨が貫く。今となってはとても再建のかなわぬ無二の造作だ。後継者は今のところいない。70代半ばの敏子さんは「継ぎたいという方がいれば考えますが、いなければ仕方ないですね」と静かに笑う。

他の現存する店では、世田谷は門主の息子の裕明さんが店を継ぐ方針で「とても心強い」と作道さん。高岡は33年前に他界した門主、開田佐吉さんの娘の裕子さんが妹の助けを借りて切り盛りしてきたが、先だって「息子のお嫁さんが営業権を継いでくれた」(裕子さん)。石打の林利貞門主は「嫁いだ娘が継ごうか、と言ってくれているけど、楽ではないので様子を見て決めます」と話す。

荻窪は今、スタッフの一人が引き継ぐ意向を示してくれている。ただ、店は老朽化が進み、再開発となれば現状のままでの営業は難しい。その場合でも何らかのかたちで喫茶店は続けたいという。

レトロ喫茶ブームといわれるが、その陰で、古くからの名店が跡継ぎ不在や再開発などそれぞれの理由で一つ、また一つと姿を消している。単なるノスタルジーではなく、街の一角で歴史を刻み、個性の光を放つ空間は、慌ただしい現代において、より一層、貴重な存在となっている。

ただ、「消え物」という言葉があるように、飲食物はいつか形を失う。同じく人を集める名店でさえも、その味とともに、抗(あらが)えぬ事情を前にしてはかなく消えることもある。それも致し方ないことで、客は静かに受け入れるしかない。ただ一つできることは、今、その空間と味を満喫できる幸福に浸り、折を見て通い続けることだ。

(名出晃)

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