
南部にある先史時代の遺跡、ストーンヘンジ。ユネスコの世界文化遺産である先史時代の環状列石を、いったい誰が築いたのか。いまだに多くの謎を秘めており、多くの研究者たちがその解明に取り組んでいる。その巨石の起源に新説が登場した。
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ストーンヘンジの物語が始まる場所としてウェールズが注目されたのは、地質学者のハーバート・トマスのおかげと言っていい。ストーンヘンジといえば、二つの立石の上に一つの横石を載せた「トリリトン」という建造物が有名だ。これは「サーセン石」と呼ばれる硬い砂岩でできている。だが、いくつものトリリトンが馬蹄形(ばていがた)に並んだ構造の内側には、それよりもっと小さい「ブルーストーン」と呼ばれる石が円形に並んでいる。サーセン石はこの地域に分布するが、ブルーストーンはまったく見られず、明らかに別の地域から運ばれてきた岩石だ。
ブルーストーンの重さは平均1.8トン。いったいどこから運ばれてきたのか。この謎を解くきっかけとなったのは、トマスが1923年にその標本に出合ったことだった。標本のなかにはブルーストーンの一種で、まだら模様のドレライト(粗粒玄武岩)という岩石があった。トマスは以前、ストーンヘンジから280キロメートルほど離れたペンブロークシャーの「プレセリの丘」を歩いているときに、これと同じ岩石の露頭(岩石が露出した場所)があったことを思い出した。トマスはその後も調査を続け、ストーンヘンジのブルーストーンはペンブロークシャーにある露頭から採石されたと結論づけた。
そして最近、英ウェールズ国立博物館の地質学者リチャード・ベビンズと英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン付属考古学研究所の地質学者ロブ・イクサーが、「蛍光X線分析法」や「レーザーアブレーション誘導結合プラズマ質量分析法」といった先端技術を使ってトマスの調査結果を検証。2人はブルーストーンが採石されたプレセリの丘の露頭を4カ所特定した。
生化学の分野でも興味深い発見があった。ベルギーの研究者クリストフ・スヌークは火葬後の遺灰や遺骨に含まれる元素の同位体を分析し、死者が死ぬまでの10年間どこで暮らしていたかを調べる技術を開発した。この技術で、ブルーストーンの環状列石が建てられた当時に火葬されてストーンヘンジに埋められた25人の遺骨を分析した結果、その半数近くが遠く離れた地域の出身者であることが判明した。考古学的な証拠と組み合わせて、彼らの出身地はイングランド南西部のデボン北部かウェールズ南西部ではないかと推定された。
スヌークはまた、遺骨に残された火葬の煙の炭素と酸素の同位体比を分析して、火葬に使われた薪の種類を推定する技術も編み出した。それにより、一部の遺体はストーンヘンジ周辺の疎林ではなく、うっそうとした森林の樹木を使って火葬されたことがわかり、古代の謎に迫る新たな手がかりがまた一つ得られた。
「ストーンヘンジに埋葬された死者がウェールズ南西部出身だとは断言できません」と話すのは、英オックスフォード大学の考古学教授リック・シュルティングだ。「ただ、考古学は証拠を積み重ねて過去の出来事を推定する学問です。ブルーストーンがウェールズのプレセリの丘で採石されたことは確かですから、まずはこの地域に着目するのがよいということです」
古い環状列石を再利用?
9月半ば。冷気が肌を刺す早朝、プレセリの丘にある古代遺跡、ワイン・マウンは深い霧に包まれていた。この遺跡に残っているのは4個の石だけだ。ここでは、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーで考古学者のマイク・パーカー・ピアソン率いるチームが調査を行っている。彼らの姿や、つるはし、シャベル、手押し車の影が、霧の中に浮かび上がっていた。