「動物的に無理」 実業団ラグビーで挫折

ラグビーの練習と、学費・生活費を稼ぐためのアルバイトに明け暮れる生活が始まった。バイト先は朝日新聞大阪本社の編集局。朝刊の編集補助のため夜10時から深夜2時まで働き、そのまま泊まって翌朝、練習に行くハードな生活だったが、本人は「最高だった」と振り返る。

「同世代のバイト仲間は皆マスコミへの就職を目指していましたが、僕は月30万円くらい稼げるという高収入が何よりありがたかった。そこから学費を出して、家にもお金を入れられました。トレーニング室もあったので少し早めに出勤すれば体を鍛えられるし、食費もタダ。言うことなしです。途中からはアルバイトのリーダー役になったのですが、自分は案外、周りの人の良さを引き出しながらチームをまとめていくオーケストレーションが得意だということにも気づきました。記者さんたちにもかわいがってもらって、あとになって起業したばかりの頃、お客さんになってくれたのも当時お世話になった記者の方でした」

寝る間もなかった、わけではない。まとまった睡眠時間は大学の授業中だったという。「製図用の台があって、これが頭を乗せて寝るのにちょうどいい角度で最高の昼寝ツールでした。ある時期から製図作業がCAD(コンピューターによる設計)に切り替わって、ああもう昼寝ができなくなると焦りました」と笑う。

大学卒業後は実業団での活躍を思い描いていた。希望通り、光学機器メーカーにラグビー推薦で就職。意気揚々とチームに加わったが、半年も経たないうちにその夢は急速にしぼむ。学生のときはなんとかなると思った体格の差は社会人の世界ではいかんともしがたく、「ここで戦うのは動物的に無理」と悟った。中高大とラグビーしかやってこなかっただけに、深い挫折を味わった。

しかし、山下氏の人懐こく明るいキャラクターとラグビーに熱中する中で培われた「ひたむきさ」を前にすると、周囲の人間は「なんとかしてあげたい」と思うらしい。営業の先輩に「ラグビーはもう続けられないし、先輩たちのように自社商品を売ることにも情熱を持てない。このまま会社に居続けるのは皆さんに失礼になるので辞めたい」と漏らすと「新人で1番の営業成績を取れたら辞めてもいい。それまで頑張れ」と発破をかけられた。「会社を辞めるため」という妙な目的だったが、先輩の助言を受けながら結果を出し、社内の新人賞を受賞。辞表は受理された。この時に学んだ営業の基礎は後々、身を助けることになった。

ラグビーチームに通じる建設現場の多様性

実家に帰った翌日、今度はゼネコンにつとめるラグビーの先輩から声がかかった。「お前、体力だけはあるだろう。今関わっている建築現場で日当のアルバイトがあるからそこで働け」。行ってみると、建設現場は思った以上に楽しかった。

「頑固一徹の大工のおっちゃんもいれば、髪をキンキンに染めたやんちゃな若者もいる。いろんな個性が一緒になって、それぞれが補い合いながら頑張っていて、ラグビーのチームと似た感覚を覚えました」

新聞社のバイトで気づいた「オーケストレーション」の才能を買われて現場監督を任されるようになり、やりがいを感じた。やがてゼネコンの契約社員となり、社内の花形とされた「企画部門」に配属された。周囲にもかわいがられて3年ほどたった頃、大阪にある古い大規模団地を取り壊し、200戸以上のマンションを建設する大型プロジェクトに加わった。任されたのは用地買収。古くからの団地住人に立ち退き交渉をする仕事だった。

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人を悲しませたことに大きなショック