日経ナショナル ジオグラフィック社

1926~27年の発掘シーズン中、ウーリーはウルの共同墓地で数百もの墓を発見した。はじめは人骨とわずかな副葬品が見つかっただけで、期待していたような財宝は見当たらなかったが、シーズンが終わりに近づいたころ、重大な発見があった。青銅の武器と一緒に、ラピスラズリの柄がついた黄金の短刀が紛れていたのだ。その隣にあった黄金の袋の中には、やはり黄金で作られた楽器一式が納められていた。シュメール人の遺跡から、これほど価値が高く、芸術的にも優れた遺物が発見されたのは初めてだった。

ラピスラズリの柄を持つ黄金の短刀とさや(PHOTOGRAPH BY SCALA, FLORENCE)

いくつかの遺物に刻まれた楔形文字(くさびがたもじ)から、この墓はウル第一王朝期のメスカラムドゥグという貴族のものだと結論付けられた。発見された品々から、彼が裕福であったことは疑いようもなく、なかには王だったと考える学者もいる。

次に石造りの地下室が発見され、王族の墓ではないかという期待が高まった。ところが発掘を進めていくと、後の時代に掘られたと思われるトンネルが見つかった。それは地表近くから墓の天井まで続いており、何百年も前に誰かが墓に侵入したことを示していた。残念ながら、墓は盗掘に遭っていたようだ。

女王の墓の下によく似た墓も

しかしその後、ウーリーの努力は報われる。手つかずの墓が見つかり、そこから数々の歴史的発見が相次いだのだ。「死の穴」と呼ばれる部分を掘っていたときに、副葬品で飾り立てられ、イグサの敷物の上に横たえられた5体の遺骨が現れた。その数メートル先には、さらに遺骨が10体横たわっていた。いずれも、黄金と宝石で飾られた女性の遺骨だった。

「ウルのスタンダード(旗章)」と呼ばれる箱。片面には平和の場面(写真の面)が、反対側には戦争の場面が描かれている。王墓の中の、殉死した男性の遺骨のそばで発見された。大英博物館所蔵(PHOTOGRAPH BY BRITISH MUSEUM/SCALA, FLORENCE)

女性たちはそれぞれ楽器を抱え、その隣には美しいリラ(竪琴)を手にした音楽家の遺骨もあった。リラの共鳴胴にはカーネリアンやラピスラズリ、貝の内側の真珠層などがはめ込まれ、前面には、ラピスラズリでできた目とあごひげを持つ黄金の牡牛(おうし)の頭がついていた。

PG800号墓と名付けられたこの墓にはほかにも、黄金、宝石、真珠層で飾られ、ライオンと牡牛の頭が彫りこまれた木製の牛車が納められていた。その横には、御者と思われる2人の男性と、2頭の牡牛の遺骨が横たわっていた。

発見はまだまだ続く。青銅、銀、金、ラピスラズリ、アラバスターでできた武器、道具、様々な器、そして賭博台まで見つかった。部屋の中央には、幅が数メートルある大きな木製の収納箱が置かれていた。服やその他の貢物を納めるためだったと思われるが、中身ははるか昔に朽ち果てていた。

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服毒に加えて外傷の痕が