人々に愛されるマナティー なぜ餓死してしまうのか
写真家のエリカ・ラーセンは写真を通じて、文化と人々 、そして自然を結びつける何かを探す。今回は穏やかな海の生き物とのつながりがテーマだ。写真家のコトバに耳を傾けてみよう。
◇ ◇ ◇
防潮堤の上に座って、耳を澄ましてみる。
すると、あの音が聞こえてくる。マナティーが水面に浮上して勢いよく息を吐く音。彼らはすぐにまた潜っていく。豊かに生き物を育むフロリダ沿岸の春の海へと。
私はマナティーの呼気の音を「太古の音」と呼ぶようになった。このおとなしい海生哺乳類の系統をたどれば、5000万年ほど前に陸上で暮らしていた草食哺乳類に行き着くからだ。このように長い進化の歴史を誇るマナティーだが、現在の生息域では、多くの群れが深刻な危機にさらされている。
ライターで写真家のジーナ・ステフェンズと私は、2019年にナショナル ジオグラフィックの若手育成プログラムでペアを組み、一緒に何かできないかと話していた。私はその数年前に米フロリダ州南部に引っ越してきたばかりで、ジーナは当時、南米のコロンビアで暮らしていた。
「世界のマナティーの都」として知られるフロリダ州クリスタルリバーには、もともとジーナの曽祖母が住んでいた家がある。その家は冒頭の防潮堤を挟んで、マナティーの保護水域に面している。ジーナは子ども時代に多くの日々をこの家で過ごし、コロナ禍の最中にも数週間滞在した。私も合流し、何ができるかアイデアを出し合った。
2021年はマナティーにとって災難の年だった。フロリダ州の大西洋岸では水質の悪化でマナティーが食べる海草が激減し、1000頭を超す個体が死んだのだ。この年、ナショナル ジオグラフィックに私たちの企画が採用され、マナティーに関する記事をつくることになった。
私たちはクリスタルリバーを取材の拠点にした。そして、マナティーに関連のある科学、環境、歴史について調べているうちに、科学者でナショナル グラフィックのエクスプローラーでもあるジェイソン・ガリーの撮った写真を見つけた。彼はしばらく前からマナティーを取り巻く問題を調査していたのだ。編集部に相談し、彼にもチームに加わってもらうことにした。ジェイソンは水中や空からの撮影を担当し、マナティーの暮らす水中世界を見せてくれた。
一方、ジーナと私は陸の世界に目を向け、マナティーの文化にどっぷり浸って取材した。この生き物は人々に愛されながらも、人間の営みによって存在が脅かされている。
私たちはフロリダ州各地を回り、さまざまな思いを抱いている人たちの話を聞いた。愛好家にとって、マナティーは思わず抱き締めたくなるような愛らしい動物だが、マナティーの調査や保護活動に取り組む専門家にとっては「炭鉱のカナリア」のようなものだ。マナティーそのものが深刻な危機にさらされているだけでなく、周囲の環境が危機的状況にあることを真っ先に知らせる動物でもある。私たちがまとめた特集はナショナル ジオグラフィック日本版2023年1月号に掲載される予定だ。
旅の終わりに、ジーナと私は再び防潮堤に座り、マナティーのことを考えた。
私はマナティーに導かれて、自分が暮らすこの場所の、これまで知らなかった歴史を目にすることになった。取材中ずっと、マナティーは鏡のような役目を果たし、彼らに出合った人々、彼らが暮らす水域、そして私たちすべてを支える環境と私たちの関係を映し出してくれた。
マナティーは、水中では草食哺乳類の一風変わった小さなグループの一員で、生態系に欠かせない役割を果たしている。陸では人々を魅了し、人間性の最善の部分を映し出す、カリスマ性を秘めた動物だ。
そして、マナティーは、はるか昔の記憶を今に伝える太古の生き物でもある。
(文 エリカ・ラーセン=写真家、日経ナショナル ジオグラフィック)
[ナショナル ジオグラフィック 日本版 2022年12月号の記事を再構成]
- 著者 : ナショナル ジオグラフィック
- 出版 : 日経ナショナル ジオグラフィック
- 価格 : 1,250円(税込み)
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