
ハワイの「クラックシード・ストア」は、いわば駄菓子屋だ。店に入ると、グミからのり巻き煎餅まで色とりどりのお菓子と、ポップコーンの香り、かき氷機のうなり声が迎えてくれる。
初めて来た人には驚きかもしれないが、地元の人たちにとっては大切な伝統であり、子ども時代と自分をつなぐ存在である。
クラックシードの名は、梅の実を乾燥させたお菓子「リーヒンムイ」に由来する。このお菓子を乾燥させている間に実がぱっくり割れることから、クラックシード(割れた実)と呼ばれる。独特のクセになる風味があり、のど薬からアイスクリームのトッピングまで、あらゆるところで使われている。クラックシードという言葉は今や、こうしたストアで売られる乾燥保存食品全般の代名詞となっている。
今ではウォルマートやセブン-イレブンでも売られているが、旅行者は家族経営のクラックシード・ストアに行けば、この島の移民文化について知る手掛かりを得られるだろう。さらには店に利益をもたらし、自身も特色ある多様なお菓子を楽しむことができる。地元の人のように、週末の午後に海辺で味わうのもよいだろう。
クラックシードの歴史
ウメ(学名Prunus mume)の果実を広東語で「シームイ」と言うが、これがハワイでリーヒンムイになった。赤みがかった色と、リコリス(甘草)、塩、砂糖を混ぜたものに漬け込むことで生まれる独特の甘ずっぱい風味が、リーヒンムイの特徴だ。丸ごとやスライスしたもののほか、乾燥させて粉にしたものも売られている。この粉末をグミやアイスクリーム、生の果物にも振りかける。

広東語でリーヒンムイとは「旅する梅」という意味だが、ハワイでの歴史を考えると、まさにぴったりの名前だ。
米ハワイ大学ウエストオアフ校の労働教育研究センターによれば、19世紀中ごろに中国からの移民が、梅の菓子を持ち込んだと考えられている。20世紀まで、ハワイのプランテーション農場は、ポルトガルや日本、フィリピン、韓国、プエルトリコからの労働者を積極的に募集していた。3年から5年の契約期間を終えた労働者の中には米国本土に移住する者もいたが、多くはそのままハワイに根を下ろした。プランテーション時代の異文化の融合は、米国のそのほかの地域では見られないものだった。
「次第にプランテーションを離れ、中華街のような場所に住む人が増えました。土地が安かったため、店を始めるのも難しくはありませんでした」と、米カリフォルニア州立大学フレズノ校の人類学教授フランクリン・イング氏は説明する。中国系のイング氏は、ホノルルの中華街の近くで育った。米国で最も古い中華街の1つだ。
「中華街地区には、ハワイ人の店と並んで、中国人、日本人、フィリピン人の店もありました。その多くは経済的に同じ階級に属していたため、食べ物を無駄にせず、互いに物を分け合うようになりました。リーヒンムイは、長い1日の後で安らぎを与えてくれる、あまりお金のかからない食べ物でした」