日経ナショナル ジオグラフィック社

冒険の前の冒険

調査地であるレンランド氷冠を訪れるには、プール・ウォールと呼ばれる高さ460メートルの一枚岩を登らなければならない。オノルド氏が評価したプール・ウォール登攀の難易度は5.12c。これは、経験豊富なクライマーにとっても難しいことを意味する。気象条件を考えれば、実際の難易度はこの数字よりも高かったと、オノルド氏は言う。「気温マイナス6℃の吹雪の中を登ったのですから」

セベストル氏はクライミングの経験はあったものの、ビッグウォールと呼ばれるクラスの岩壁を登ったことはなかったので、プール・ウォールに挑戦してみないかと聞かれたときには「まさか!」と思ったという。「けれども、プール・ウォールで行う調査のことを考えると、自分が登ることは理にかなっていると考え直したのです」

3人のプロのクライマーが先に岩壁を登り、セべストル氏ともう1人のメンバーのためにハーケンを打ち込み、ロープを固定した。セべストル氏は恐怖に耐えながら氷原から数百メートルの高さを登り、一定の間隔で止まっては岩石コアサンプルを採取していった。これらのサンプルは、気候学者がこの地域の過去の氷河の歴史を再構築するのに役立つはずだ。その結果にもとづき、グリーンランドの氷床の融解に伴う将来の海面上昇を、より正確に予測することが可能になる。

プール・ウォールの頂上に到着した探査チームはレンランド氷冠の端に出た。それから5日間、彼らは雪と氷の深さと密度をリアルタイムで測定する特殊なレーダーを搭載したソリのような装置を引きずりながら一帯を調査した。

セベストル氏は、「今回の探査では、グリーンランドの未踏地域の『健康診断』を行うために15種類の調査を行いました」と言う。崖に温度センサーを設置したほか、3Dレーザーを使って氷河内部をスキャンしたり、海水の温度と塩分濃度のデータを収集するために米航空宇宙局(NASA)が設計した特殊な浮きをフィヨルドに流したりした。

人工衛星から得られるデータのおかげで、「ここで起きていることはおおよそ見当がついている」とセベストル氏は言う。「けれども、人工衛星が何基あっても、ヘリコプターや飛行機でどれだけ科学データを収集しても、地上で長靴を履いてデータを収集するのに及ばないことがあるのです」

ベースキャンプでの休憩中も、握力を鍛えるためにフィンガーボードにぶら下がるオノルド氏(PHOTOGRAPH BY J.J. KELLEY, NATIONAL GEOGRAPHIC FOR DISNEY+)

苦労して得られた情報は、NASAだけでなく欧米やアジアの研究機関の研究者と共有される。データからどんなことが明らかになりそうか、セベストル氏は詳しくは教えてくれなかったが、1つだけ確実そうなことがある。この地域の氷河は、グリーンランドのほかの地域と比較して、融解の影響が少ないように見えるのだ。セベストル氏は、「この地域は、まだ気候変動の影響を受けていない最後の砦(とりで)の1つかもしれません」と言う。

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イングミコルティラクの初登攀