万年筆のパーカーが認めた漆の老舗が、工業製品へ進出

日経クロストレンド

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漆の老舗・坂本乙造商店(福島県会津若松市)は、家電、自動車、時計、文具など工業製品に漆塗装を施す事業も展開する。その価値を最初に認めたのは海外だった。今では日本のメーカーとの仕事が多いが、その製品のほとんどは海外に向けられる。

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坂本乙造商店は、1900年に創業した漆の老舗であり、もともとは塗料としての漆を製造販売する商店だった。ところが戦後になると漆の需要が減少し、漆の販売だけでは事業として成り立たなくなった。そこで同社は漆器の産地問屋として生き残りを図った。ところが70年代から、「『これからは産地問屋も生き残れなくなるのではないか』と感じるようになった」と言うのは同社社長の坂本朝夫氏である。

「産地問屋から見るとお客さんはとても遠くて顔が見えない。漆器を作る職人さんがいて、産地問屋があって、消費地問屋、小売店があって、その先にやっとお客さんがいる。将来、作家さんだけは残るかもしれないが、こうした古い構造の産業は残らないのではないか」(坂本氏)。そこで坂本氏は、ものづくり、特に工業製品の分野に活路を開こうと考えた。

70年代というと、日本の工業製品が最も輝いていた時代の始まりである。坂本氏は75年ごろから色々な工業製品のメーカーを訪ね、「漆を使ってみませんか」「共同でやってみませんか」という話をして回った。しかし当時は効率やコストなどを重視する時代。「『ムダ、ムリ、ムラ』をなくすのが我々の課題なのに、あなたの話は『ムダ、ムリ、ムラ』だらけだ、とほとんど門前払いだった」(坂本氏)

工芸品のバラツキが問題に

一方で同じ頃、フランスの有名なブランドから、「漆を使ってみたい、技術を教えてほしい」という要請が来た。「日本ではどこも門前払いなのに、なぜフランスのブランドが興味を示すのかを聞くと、『安くて良いもの』を作る仕事は日本に取られてしまった。今さらその分野で競争しても勝ち目はないから、より付加価値の高い製品を作るために、色々な天然素材を研究している、ということだった。そこで、こちらから漆について教え、代わりに欧州の伝統産業について勉強させてもらった」(坂本氏)

そんな経緯があって欧州とのつながりができ、高級筆記具ブランドとして世界的に知られるパーカーから、米国のドナルド・レーガン大統領の就任を記念してホワイトハウスに贈るためのデスクセットの製作を依頼されることになる。「当時はまだ自社に工場はなかったが、問屋としての職人さんのネットワークを持っているのが強みだ。その中でも最も腕のいい、伝統工芸士の資格を持つ人にパーカーのデスクセット2000台に漆塗りを施してもらった。非常に美しい仕上がりになったと思い米国に送ったが、全量返品になってしまった」(坂本氏)。工芸品ならば問題にならない、1個1個のバラツキが理由だった。

品質管理をクリアするノウハウ

漆器ならばちょっとした漆のタレがあったとしても、それがむしろ手工芸としての味にもなる。しかし工業製品では単なる不良品だ。「一番上手な人に頼んでダメならば、自分の手でほかのやり方でアプローチするしかない」。そう考えた坂本氏は、1年間の猶予をもらい、漆をスプレーで吹き付け塗装する手法の開発に取り組んだ。1年間の試作と研究の結果、伝統工芸士の作品ほどの味わいや深みには及ばないものの、工業製品として指摘される欠点はないレベルに仕上がった。これを送ったところ、今度は全量OKだった。「最終的に自分が責任を取れるようなものづくりをしないと、問屋のままでは工業製品はできないと痛感した」(坂本氏)。そこで、問屋業はほぼ諦めて、ものづくりに集中するようになった。

この吹き付け塗装を同社独自の技術として、さらに幅広く工業製品に応用するノウハウを磨いていく。初期の頃は海外からの依頼が大半だったが、それにより知名度が上がり、展示会や雑誌広告などにも積極的に出展・出稿し、日本でも85年ごろから次第に依頼が増えてきた。「工業製品は品質管理が厳しいので、最初にデザイナーからの依頼を検討し、品質管理を通らないだろうと思えば、こちらから改善を提案する。最初はそれが分からなくて、デザイナーと協力してみんなが納得するいいものができたと思っても、品質管理を通らないということが何度もあった」と坂本氏は言う。

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「深み」こそが漆の魅力