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フジテレビ在籍時に「逃走中」などヒット番組を企画し続けた高瀬さん

フジテレビ在籍時に「逃走中」などヒット番組を企画し続けた高瀬さん

「バズる企画を出せと言われても思いつかない」「アイデアはあっても収益化が難しい」――。多くのビジネスパーソンが企画で頭を悩ます中、その「企画」を生業とし、「企画屋」「コンテンツプロデューサー」として活躍しているのが、ジェネレートワン代表取締役の高瀬敦也氏だ。フジテレビ在籍中から「run for money 逃走中」(以下、「逃走中」)や「Numer0n(ヌメロン)」、「有吉の夏休み」などヒットを連発した「企画のプロ」。だがそんな同氏も企画書を突き返されたり、ボツにされたり、実現しても注目されない経験を重ねてきたという。そこから得た気づきとは。

2018年にフジテレビを退社した高瀬氏は、独立後も様々な媒体でヒット企画を生み出している。レオス・キャピタルワークスが運営するYou Tubeチャンネル「お金のまなびば!」では動画の企画制作を手掛け、登録者数は開設約1年で16万人に達した。ツイッター上での「伯方の塩二代目声優」公開オーディションでは、広告効果10億円とも言われる「バズ」を生み出した。

フジテレビ時代の実績もあり、新しい媒体での挑戦も成功。華々しい経歴のように見えるが、高瀬氏はそれを否定する。

独立後は「想像した以上に、過去の実績には意味がなかった」のだという。「フジテレビのあの高瀬さんだから」と頼まれる仕事はほとんどなく、御用聞きから始めた。映像関係はあまりなく、SNS(交流サイト)の運用から漫画・絵本の原作・脚本、アパレルブランド事業まで何でもやってみた。現在手がけている仕事のほとんどは、独立後に新しくできたつながりからコツコツ積み上げてきたもの。「企画屋」として知られるようになるまでのキャリアもそうやって必死にたぐり寄せた結果だ。

企画書を書き始めたのは不純な動機?

1998年にフジテレビに入社した高瀬氏が最初に配属されたのは営業だった。番組の企画書を書き始めたのは、営業の仕事に慣れてきた3年目の頃。だが、その目的は「営業局員なのに番組企画を考えている『ちょっとやる気のあるヤツ』というキャラ作り」。実際に上司や制作部門の担当者に見せてダメ出しされると傷つくので、褒めてくれそうな後輩にだけこっそり見せていた。

6年目に編成部企画班という制作部門に近い部署に異動。いよいよ書きためてきた企画を出すチャンスが来た。だが、どんなに出してもすべてボツ。回ってくるのは雑用ばかりで、27歳にして「優秀な弁当発注マシン」でしかない自分が情けなかった。当時、もう一つ任されたのは編成・制作間の伝書鳩係。相手は「クイズ!ヘキサゴン」や「笑う犬」など人気番組を手がけていた制作部の辣腕プロデューサーたちで、「キレッキレで怖い」彼らに編成部の意図を伝えて説得する仕事だった。

「制作者のロジックを理解した上で話さないと絶対に納得してもらえないんです。誰をキャスティングするのか、シーンをカットするのか生かすのか、すべてに理由がある。制作の準備段階から収録、編集、プロモーションに至るまで一つ一つの決断の裏にある理屈がちゃんとロジックでつながっているかどうか。こわもての先輩たちとやりとりする中で、そのロジックの組み立て方を学べたのは大きかった」

だが「伝書鳩係」は神経をすり減らす仕事でもあった。そこから抜け出すには自分の企画を通すしかない。必死に企画を出し続け、ようやく実現したのは編成に異動して2年目のことだった。1本目、2本目は大して話題にならず、3本目に出したのが「逃走中」。それとて何度も企画書を突き返されては書き直した。初回はBSのパイロット版枠での放送。その後、深夜枠を担当する先輩に頭を下げ続け、やっと枠をもらえたが、注目されることはなかった。それでもしつこく回を重ねて、23時台に進出。そこでようやく人気に火がついた。

「めげなかったのは、若かったから(笑)。それと自分なりには手応えを感じていたからです。自分が面白いと思ったものは、ダメ出しされても諦めずに心のうちに秘めておいて、また次のチャンスを狙うしかありません。企画がいきなり意図した通りにバーンと当たるなんてことは、まずない。当たる、当たらないは運。しかも確率は1%かそれ以下。そう割り切ったほうがいい」

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