母と親方の食育、弟子に伝承 元稀勢の里・荒磯寛さん
食の履歴書
元横綱稀勢の里の荒磯寛親方が8月、自分の部屋を起こした。弟子の育成で重視する分野の一つが食。大学院での学びも生かし、栄養の取り方に新しい手法を取り入れる。根底には両親から受けた食の教育と師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)から学んだ食の哲学がある。
相撲の世界は験(げん)を担ぐことが多い。現役時代に所属した鳴戸部屋では、場所の初日の食事は必ず、トンカツとあさり汁だった。理由は「あっさり勝つ」ため。自ら起こした荒磯部屋でも、この伝統は継承する。大関時代、場所の前日に近くの寿司(すし)店でカツオ丼を食べた。「勝つ男の丼」だと。初日に快勝したので、験を担いでやめられなくなった。この場所は初日から13連勝、結局13日間続けて同じ寿司店でカツオ丼を食べた。
そんな荒磯親方は8月、筑波大学の武道館内に仮設の部屋を開いた。正式な部屋は現在、近くに建設中で、来年5月に完成する。弟子も4人おり、連日稽古に忙しい。
小学5年生にして体重80キロ、靴のサイズ28センチと規格外だった。両親は運動選手でもなく、特別に体が大きかったわけでもない。荒磯親方の頑健な肉体は、両親の食に対する思い入れの賜(たまもの)だった。母親は「体にいい物をたくさん食べなさい」が口癖で、食卓には煮干しや酢の物など、子供が敬遠しそうな食材が必ず並んだ。スナック菓子や炭酸飲料は禁止された。
体にいいからと、自宅で使う油はすべてオリーブ油。なんでもオリーブ油をかけて食べた。天ぷらもオリーブ油で揚げるので、しなっとすることが多く、からっと揚がった天ぷらを食べたことがなかった。イタリア料理が大好きなのは、子供のころからオリーブ油に親しんできたためだ。
小3から始めた野球を中学でも続けた。給食は当然おかわりをするが、全く足りない。帰宅するやまず1回目の夕食、それから自主練習や筋力トレーニングに出かけ、戻ってから2回目の本格的な夕食を取った。甲子園の常連校からスカウトがきた。ずぬけた体格を評価され、相撲の強豪校からも声がかかった。
中学時代の野球仲間にプロ野球、千葉ロッテマリーンズで活躍する美馬学投手がいた。美馬投手と比べて、自分が将来、野球で飯を食っていくのは無理だなと悟った。相撲の世界に進もうと決めたのは、努力すれば自分の腕1本でのし上がれるし、たくさん稼げると考えたからだ。
父親は息子を角界に進ませたかったようで、自宅のテレビには相撲の生中継や録画した取り組みが流れていた。父親は「身長180センチを超える日本男児は相撲取りになるべきだ」とよく口にしていた。
相撲部屋に入ると、若手はチャンコ番という食事の当番がある。鳴戸親方からは「台所に立つ暇があったら稽古場にいろ」と言われ、食事の後かたづけを手伝うくらいで、あとはひたすら土俵で汗を流した。
入門から2年、史上2番目の早さで十両に昇進した。十両になると「関取」と呼ばれ、食事でもおかずが2、3品増え、食事の順番も早くなる。鳴戸親方からよく言われたのが「人の残すものから食べろ」。トンカツならキャベツから、定食なら小鉢の酢の物から食べる。野菜を最初に取ろうという食の教育が進んでいるが、20年近く前からその習慣は身についていた。
鳴戸親方は糖尿病だったため、食へのこだわりが強かった。部屋の食事メニューはすべて自分で決めていたし、冷蔵庫の中身も完璧に把握していた。荒磯親方は「相撲部屋のちゃんこ鍋は究極のスーパーフード」と語る。これさえ食べていれば、あらゆる栄養素が摂取できて安心という。
荒磯親方は大学院で他のスポーツについても学ぶ機会があり、疑問がわいた。「空腹のまま練習するのは相撲くらい。正しいのか」。相撲部屋では普通、朝は何も食べずに稽古し、終わってから食事になる。筋肉を付け、けが防止の点から、このままでいいのかと考えるようになった。
荒磯部屋では毎朝、うどんを食べ、サプリメントでたんぱく質を補充してから稽古を始める。良質の筋肉を付けるには、毎日体重×3グラムのたんぱく質を取るといいそうだ。荒磯部屋は専門家のアドバイスを受け、サプリメントでの栄養補給も重視している。
力士にとって一番怖いのはケガ。自身もケガが原因で早い引退を余儀なくされた。弟子たちにはケガをしない相撲を取ってほしい。そのためには良質な食事を通じた頑健な体づくりが何より重要だ。
【最後の晩餐】 肉や寿司も好きですが、やはり最後はパスタかな。メンタイコかタラコの和風パスタを大盛りでいただきます。追加でトマト味のあっさりしたパスタも。パスタに限らず、シンプルな味付けが好きです。前菜はオリーブオイルたっぷりのサラダがいいですね。
20人前のパスタ食す
東京・麻布十番のイタリアン「ピアットスズキ」((電)03・5414・2116)がお気に入り。現役時代、後援者に招待されたのが最初で、オーナーの鈴木弥平さんが同じ茨城県出身だったこともあって、今でも月に1度は足を運ぶ。断髪式の前夜にも、お世話になった後援会の人たちとともにテーブルを囲んだ。
茨城県産の旬の野菜や果物をふんだんに使い、魚もその日に仕入れた鮮度の良いものを出す。写真の炙(あぶ)りカツオの前菜や甘エビとフルーツトマトの冷製パスタ、自家製カラスミのパスタはよく頼む。パスタは4人分を大皿に盛ってもらい、5種類、合計20人前を食べる。肉は現役時代から験を担いで鶏が多く、奥久慈産のシャモを丸々1羽、ローストで。素材がいいので味付けはシンプルに。
(編集委員 鈴木亮)
[NIKKEI プラス1 2021年9月25日付]
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