2021/11/5

――北京への留学は、日本に行くときから計画していたことだったのでしょうか。

中西:台湾から香港へ行ったのも、北京へ行こうと思ったのも、事前に決めていたことではありません。現地で誰かにアドバイスをされたわけでもなく、すべて自分で得た情報をもとに、その場で決断しました。なかでも、北京の大学で学ぼうと決めた理由は、中国では俳優として活躍するためには中央戯劇学院か北京電影学院などの演劇大学で演技の勉強をしていないと難しいと聞いたからです。そういったこともあり、香港から北京に行って中央戯劇学院を受験しました。中国語での自己紹介、お芝居、朗読、実技、あとは筆記の試験を受けて無事に合格することができました。

北京の名門大学・中央戯劇学院に入学した中西悠綺さん

――中央戯劇学院はトップスターのチャン・ツィイーさんやコン・リーさんを輩出した演劇教育を専門とする中国の超名門国立大学ですよね。

中西:北京でも観光地になっているほどの国立大学ですし、スターを夢見る子が中国全土から目指すようなところです。クラスメートは10人くらいで、私が唯一の日本人でした。

――大学での授業内容についてもお聞かせください。

中西:お芝居や音楽、あとは体を動かしながら表現を学ぶ体育のような授業など、朝から夕方までいろいろありました。ただ、先生がものすごく早口なので、ついていくのがとにかく大変。授業が終わってから先生に聞きにいくことはしょっちゅうでした。

女優チャン・ツィイーさんも学んだ中央戯劇学院で演技の猛特訓を受ける

うまくいかなくて、毎日泣いていたこともあった

――そういった生活でホームシックになったり、落ち込んだりすることもあったのではないかと思いますが……。

中西:正直に言うと、北京にいるときはゴールの見えない暗いトンネルを走っているような感覚だったこともあり、何度も帰りたいと思いました。早く結果を出そうと必死だったので、中国映画のエンドロールに書いてある制作会社を全部書き出してリストにし、自分でつくったプロフィルを片手にひとりで制作会社を1軒1軒、合計で60社ほど回りました。アポなしで門前払いされることもありましたし、うまくいかないことも多かったので、北京では毎日のように泣いていました。

――その時期をどうやって乗り越えたのでしょうか。

中西:一時帰国を終えて中国に戻る際、母から「本当に心が折れたらいつでも安心して戻っておいで。有名になってもなれなくても、世界で一番愛しているよ」という手紙をもらったんです。つらくなったときにその手紙を読むと、「ここで諦めたらダメだ。がんばろう!」と思えたので、それが支えになっていました。あとは、ひとりでよく映画館に行っていたので、そこで中国映画を見て過ごしている時間も好きでしたね。結果的には、それが中国語の上達や中国映画の勉強につながったと思います。

――苦しいなかで、モチベーションとなっていたものとは?

中西:そもそも自分がやりたいと思って始めたことですし、行ったからには何とかチャンスをつかんで目に見える成果を残したいという気持ちは強かったです。中途半端な状態で帰りたくはなかったので、そういったことをつねに自分に言い聞かせていた感じだったと思います。

――昔から物おじしない性格だったのか、海外で培われたものなのか、どちらですか?

中西:もともとバイタリティーと行動力は人よりあるほうだとは思います。それはブレない芯のある母親譲りかもしれないですね。とはいえ、もちろん悩むこともあります。でも、やるかやらないか、だったらやるしかないですし、やるんだったら後悔しないように、という気持ちです。いまは、「アジアで活躍できる女優になる」と決めたので、そうなるためにはどうしたらいいかというのを考えてつねに行動しています。夢を応援してくれる家族に恩返しするためにも、できるだけ早く結果を出せるようにがんばりたいです。

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