ノウハウと人脈は財産

――これまでの人生で最も苦労したことは何ですか。

ロンドンでミュージカル関係者と話す都倉俊一さん㊨(1990年代)

「33歳の時(1981年)、自分の新たな可能性を求めて渡米したんですが、そこで興味を持つようになったのがミュージカルの世界。演出家や舞台音楽家などブロードウェーで人脈を広げつつ、舞台ビジネスの仕組みについて勉強を始めました。88年にはロンドンに移住し、オリジナル作品の制作に取り組みます。これが苦難の連続でした」

「ミュージカルは音楽、ダンス、演劇など多くの要素が合体した総合芸術。作曲は自分が担当するとして、作詞家や脚本家、振付師、演者など仕事仲間を探し、投資家から資金も募らないといけない。劇場との交渉もある。才能だけでなく語学力や人脈がものを言う世界です。これらを一からすべて勉強しました」

「長崎の原爆投下を背景に米国人捕虜と日本人女性との恋愛を描いたオリジナル作品『アウト・オブ・ザ・ブルー』がロンドンの劇場街ウエストエンドで上演されたのが94年。残念ながらロングランにはなりませんでしたが、10年がかりで挑戦したプロジェクトを通じて多くのことを学べた。良い経験になりました」

――日本の文化立国づくりにも生かせる経験ですね。

「そうです。日本の作品や日本人を世界で飛躍させたいし、日本文化の存在感をブロードウェーやウエストエンドに負けないくらいに高めたい。地の利はやはり大きいと痛感します。だからイベントを日本に誘致し、文化発信拠点も整備する。そうすればクリエーターや演者たちが集まり、市場も成長します」

「人脈やノウハウは財産です。苦労や教訓も含めて、こうしたすべてを国家戦略に生かす機会をもらえたのは有り難いこと。地の利に加えて人脈やノウハウを生かす。東京でも様々な拠点づくりが進んでいるし、文化庁の京都移転や25年の大阪・関西万博も日本文化の海外発信に大きな弾みになると期待しています」

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「時代との対話」を継承