過剰な優しさは可能性を摘む
第2章のポーラ社長・及川美紀さんのインタビュー記事には、「過剰な優しさは時として人の可能性を摘んでしまうもの」という言葉がありました。これは私が以前勤めていた広告会社の社内で見てきた光景だな、と感じましたね。
子育てを始めた女性が保育園に子どもをお迎えにいかないといけない時間が来たとき、「○○さんは先に帰っていいよ」「○○さんは××のミーティングに出なくていいよ」と、周りの男性社員が気を使って言っていたんです。言われた女性社員はそれを負い目に感じてしまって。そうしたことが繰り返されて「私はこの部署にいてはいけないのではないか」と思い始めたようです。結局その女性社員は、クリエイティブな仕事から離れて、バックサイドの仕事に回っていました。せっかくクリエイターとして働けていたのに、定時で帰宅できる部署に異動して。あれも「可能性を摘んでしまった」事例だったのかもしれないと思うんです。
その女性に本心を尋ねていれば事態を改善できたかというと、そんな単純な話でもないような気がします。なぜなら女性社員が「自分自身がどう働きたいのか」という「自分の本当の望み」に気づく前に、周りが勝手に「道」を作ってしまった、という感じだったから。彼女自身がどうしたかったのかは、誰も聞いていないので分かりません。でも、周りが勝手に先回りして、「女性は子育てが大変だよね」と気を使って道を作ったのは事実。その道に乗っていくことが、果たして彼女にとってベストな選択だったのか……、いまだに疑問です。
確かにコミュニケーションで、本心を伝える・聞くというのは大事です。でも、働く親の誰もが「自分がどんな仕事をしていきたいか」という明確な思いをしっかり持っているかというとそうではないと思います。先輩や周りの社員がやってきたこと、もしくは、やっていることを、何となくなぞって、「自分も同じようにしなくては」と思うことも多いのではないでしょうか。
だからこそ、いろいろなロールモデルが社会にあることを知らなければいけない。知らなければ自分が本当に進みたい道は分からないように思います。
広告会社では、こんな経験もしました。
飲み会で「女性は無理にお酒を飲まなくていい」という暗黙の了解があって、何度もそれに助けられたんです。一方で、男性たちは「男だから飲まなくてはいけない」という決まり事に苦しんでいたかもしれません。一気飲みをしなくてはいけない場面もありましたし、上司からお酒をつがれたら飲み干すというルールがまだ存在していた時代でした。
子育ての場面で気を付けたいこと
本では、「子育ての正解」についても考えさせられました。
泣きたいほどの感情に寄り添うことよりも大切にしたいものってなんですか?
「男の子らしくなってきて~」
男らしいって何? 個性によっても変わる。親はまずその偏見なくそう。
『#駄言辞典』190ページより
こんな言葉を息子に言ってしまったら、知らず知らずのうちに、私の偏見を息子に押しつけてしまうことになる。でも、気を付けていてもつい「男の子だから、泣かないの」とか言ってしまいそうで怖いです。あとは、親が気を付けていても、周りの環境が、子どもにジェンダーに関するステレオタイプを押しつけてしまうこともあると思います。
例えば、私が保活中に見学した保育園には、バレンタインデーに女の子の園児がクッキーを作って男の子にあげるという行事がありました。性別に関係なく、作りたい子が作るならいいのですが、女の子だけがお菓子を作って、男の子はもらうだけ。「性別役割分業」的な考え方が、保育園の時点で刷り込まれちゃうんですよね。でも、そんなことを「問題だと思います」と指摘したら、たぶん、「保育園の方針に口を出す面倒な親」って感じになっちゃうと思うし。「私のジェンダー観は時代の先頭! 男女差はなくすべき!」と物申すのは、ネット上では称賛されるかもしれないけれど、現実問題、なかなか難しいと思います。
「男は仕事、女は家庭」という固定観念を変えたい
この本が指摘している問題の一つに「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業があります。この古い固定観念は変えるべきだと思います。日本では女性の社会的地位がまだまだ低いです。それに、ジェンダー平等に理解があるふりをしつつ、自宅では当然のように妻に家事や育児を押しつけている男性もいるように思います。個人的には、日本の社会のそうした古い固定観念に対して「変わってほしい」と思いつつも、「いつか変われるのだろうか」という不安もあります。日本を良い方向に変えていくために、読みながら気を引き締め直す。そんな役割が、この本にはあるのではないかと思っています。
(取材・文 小田舞子=日経xwoman)
[日経xwoman 2021年7月27日付の掲載記事を基に再構成]