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東京ふしぎ探検隊

「丸の内-新宿8分」の構想も 首都高、幻の路線計画

2012/8/31

■消えない計画、残る不気味スポット

首都高都心環状線の新富町出口付近。左側に使われていない道路が見える。これが晴海線の痕跡。まっすぐ進むと入船橋の多目的広場につながる

はっきりと痕跡が残っているのが、東銀座の近くにある、都心環状線の新富町出口だ。出口のすぐ横には、道路のような空き地が広がっている。どうやら入船橋交差点まで続いているようだ。

入船橋交差点まで歩いて行くと、そこには何とも奇妙な光景があった。「多目的広場」という看板が立つその場所は、周囲を鉄板や金網で覆われているのだ。

広場に入ってみた。壁は不気味な鉄板でびっちりとふさがれ、その先を見ることはできない。手前にはバスケットのゴールが置かれ、遊び場になっているようだ。広場の開放時間は限られているようで、入れないよう鍵がかかっている時間帯もあった。暗くなると危険、ということだろうか。

入船橋の「多目的広場」。新富町出口からの道路は写真左奥につながっている。壁の鉄板が不気味

鉄板の反対側には金網で覆われた場所があり、見るとその向こうには道路のような空間が広がっている。

実はこの場所こそが、晴海線延伸計画の痕跡なのだ。計画では、晴海線は晴海通りを勝どき方面に進み、築地市場の地下を通る。そして築地川公園の地下から入船橋にある多目的広場を通り、新富町出口につながる、はずだった。

昔の地図を見ると分かるが、このルートはかつて築地川が流れていた場所。首都高の他の路線でもみられるが、道路整備のために川を埋め立てたのだ。

広場付近にみられる道路跡について、首都高会社に聞いてみた。

この広場はもともとは築地川の川底だった。埋め立て後、道路整備が進んだものの、現在は塩漬け状態となっている。写真右奥にも地下通路が見える

「もともとは中央区が区道の一部として計画したもので、晴海線のために整備したわけではない」とのこと。晴海線の計画が持ち上がった昭和30年代に、既に整備が進んでいた区道を活用しよう、となったらしい。

バブル期には弾丸道路との接続も期待された晴海線だが、バブル崩壊後、整備の機運は薄れていった。しかし内環状線や弾丸道路と同じく計画自体は消えておらず、再開発するわけにもいかない――。大都会の真ん中とは思えない不気味なスポットは、こうして今もその姿をさらしている。(河尻定)

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