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東京ふしぎ探検隊

国道1号はなぜ「第二」京浜なのか 環状3号に幻の区間

2012/9/28

国道1号は東京・五反田から第二京浜と呼ばれるようになる

 日本中を走る国道。大動脈ともいえる1号線は東京・日本橋が起点だ。しかしこの国道1号、東京から神奈川へ向かう一部区間では「第二京浜」と呼ばれている。日本を代表する国道なのになぜ「第二」なのか。その背景には、道路整備を巡る様々な「事情」があった。

■旧東海道、日本橋から横浜までは国道15号

 東京・日本橋。首都高速道路の高架に覆われた橋のたもとに、「日本国道路元標(げんぴょう)」と書かれたプレートが飾ってある。日本橋が日本の道路の起点となっていることを示すしるしだ。広場にあるのはレプリカで、本物は道路の真ん中に埋め込まれている。

 日本橋は江戸時代に定められた五街道の起点で、現在も国道1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号はここから始まる。では、東西を横断する国道1号は当然、旧東海道だろうと思いきや、違うらしい。

「日本国道路元標」は道路の真ん中に埋め込まれている(東京・日本橋)

 「国道1号はその大半が旧東海道ですが、日本橋から横浜までは、国道15号が旧東海道に近いルートなんです」。「国道の謎」(祥伝社)などの著書がある国道研究家の松波成行さんが教えてくれた。

 地図を確認してみた。日本橋から始まった国道1号は日本橋交差点で右に折れ、「永代通り」を進んでいく。一方で日本橋から1号と同じ道を進んできた15号は日本橋交差点を直進する。古地図を見ると、確かにこちらが旧東海道を踏襲しているようだ。

 1号と15号は、通称でも「逆転」している。1号は五反田から「第二」京浜と呼ばれるのに対し、15号は新橋から「第一」京浜。いずれも横浜まで続いている。1号は日本で最初の国道ではないのか? 素朴な疑問を松波さんにぶつけてみた。

■戦後に国道を再編 自動車対応進んだ第二京浜が1号に

 「現在の国道は戦後になって再編され、番号を振り直しました。明治時代に最初に指定された国道とは番号の振り方が違うのです」。松波さんによると、1885年(明治18年)、明治政府は「国道表」を発布した。このとき、国道1号として旧東海道の日本橋から横浜港までを指定。これが、現在の15号に近いルートだった。

 大正時代になると、旧国道1号は交通量が増えてきた。自動車が走るようになったのだ。もともと自動車に対応できる道幅ではなかったことから、新たに自動車も通行できる道路への改築が始まる。「初めて自動車道路を意識した道路でした」と松波さん。1930年(昭和5年)に完成したこの道路が、「京浜国道」と呼ばれるようになった。当時としては画期的な道路だったという。これが「第一京浜」のルーツだ。

 一方、さらに増え続ける交通量に対応するため、1936年(昭和11年)から「新京浜国道」の整備が始まる。これが「第二京浜」だ。

 1952年(昭和27年)、新道路法に基づき国道が再編される。このとき、第二京浜を含めたルートが国道1号に指定された。一方の第一京浜は15号となった。1号なのに「第二」京浜という逆転現象は、歩行者から自動車へと重心が移っていく国道の歴史を映している。

 ちなみに、第三京浜は当初から「自動車専用道路」として計画された。1965年(昭和40年)に全線開通となったが、当時は都道府県道の扱いだった。国道466号の一部となったのは1993年(平成5年)とずいぶん遅かった。

東京・日本橋のたもとに、「日本国道路元標」のレプリカが飾ってある
国道15号は、新橋から第一京浜と呼ばれるようになる(東京・三田)
第一京浜の「札の辻」交差点(東京・三田)。交通量の多い道路だ

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