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歴史博士

金色堂・ミイラ・義経伝説…世界遺産 平泉に残るナゾ

2011/7/27

「国宝」第1号の中尊寺金色堂(文化庁提供)

6月、世界文化遺産に登録された平泉(岩手県平泉町)。平安時代の11~12世紀に奥州藤原氏が独自の文化を発展させた地域として知られるが、最近ではより幅広く東アジア史の視点から見直そうという研究も進んでいる。黄金の金色堂、藤原氏3代のミイラ、源義経伝説の誕生――。文化遺産の深い理解に役立つよう、平泉に残るナゾについて最近の動きを探ってみた。

■なぜ一地方政権が黄金の仏堂を建立できたのか

平泉の中核施設である中尊寺・金色堂は日本の「国宝」第1号だ。らでん細工の巻柱や透かし彫りの金具、漆の蒔絵(まきえ)など平安当時における建築、美術・工芸の粋を集めている。さらに幅約5.5メートル四方の堂内には「皆金色」と呼ぶ装飾が施され金箔で覆われている。文字通り黄金一色の世界だ。平安時代の一地方政権でなぜ可能だったのか。

平泉からは当時のアジア各地からもたらされた多彩な文物が出土している。斉藤利男・弘前大教授は「日本から事実上独立した、東アジアにおける現代の『新興国』のような存在」と位置づける。それを支えた資源が当時の貴重品「馬、金、鷲羽」だったという。鷲羽は朝廷の儀式に欠かせなかった。

さらに奥州藤原氏は中国・宋との交易で京都を経由しない直接ルートを持っていた。酒田などからの日本海ルートで博多を経由。中国側の貿易港だった寧波(明州)につなぐ海路で中国の白磁製品などを入手した。四耳壺(しじこ)、水注など高級品が多かったという。宋版の教典も輸入し、一方初代・藤原清衡は中国で「千僧供養」という仏事イベントを果たしている。

交易路は東シナ海全体に拡大して象牙、サイの角、紫檀材なども平泉にもたらされた。金色堂のらでん細工に使う夜光貝は奄美諸島周辺が産地。後には太平洋ルートも開拓し愛知県の渥美、常滑窯の陶器などが平泉から大量に出土している。豊富な資源を利用した貿易立国を実現した。奥州藤原氏の富裕さと繁栄は当時から知られ、平安末期の東大寺再建には第3代・秀衡は源頼朝の5倍の黄金を寄進したという。

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