2012/1/27

東京ふしぎ探検隊

「神田鍛冶町」と「鍛冶町」は別の町?

住居表示法に基づく再編をした鍛冶町1丁目には青い「街区表示板」がある(右)。神田鍛冶町3丁目には「街区表示板」はない。左の住所板は民間が作成したもの

「1丁目がない町」はほかにもある。神田司町(つかさまち)と神田鍛冶町(かじちょう)だ。

JR神田駅から広がる西口商店街。かつてこの場所に、神田司町1丁目があった。外堀通り付近に町名の由来を示す看板がある。現在は内神田1丁目と2丁目に再編されたという。隣の神田司町2丁目は住民の反対で再編を免れた。

一方、神田鍛冶町では1~3丁目のうち、1丁目と2丁目が新たに頭に「神田」の付かない鍛冶町1丁目と同2丁目となった。3丁目は鍛冶町ではなく内神田3丁目に再編する案だったが、住民が拒否。神田鍛冶町3丁目のまま残ることになった。「1丁目と2丁目は鍛冶町の名前を残したのに、なぜ3丁目だけが内神田になるのか」との思いがあったようだ。「神田鍛冶町」と「鍛冶町」が別々の町として存在しているのは、そんな経緯があったのだ。

「神田○○町」が多いわけ

当時、住居表示法に基づく住所の再編は、全国規模で進められた。多くの町が行政の指導に従うなか、東京23区では千代田区の実施率が最も低い。「特に神田地区では反対が強かった」と担当者は漏らす。

神田鍛冶町3丁目にある町名由来板。住民の心意気が伝わってくる

地名への愛着は、神田の歴史からも透けて見える。神田地区は今でこそ千代田区にあるが、もともとは神田区だった。1947年(昭和22年)、神田区と麹町区が合併して千代田区となったとき、ほとんどの町が「神田の名前を残してほしい」と要望。こうして神田○○町が生まれた。

しかし住居表示法に基づく再編では、町名から「神田」を外すことが原則となった。つまり今も神田○○町のままの町は、町名変更を拒んだ町、ということになる。

ところで神田区と麹町区が合併したとき、千代田という名前にはほとんど反対が出なかったという。千代田というのは江戸城の別名「千代田城」にちなむといい、由緒ある名前として受け入れられたようだ。

ちなみに千代田区にある皇居の住所は、住居表示法が実施されるまでは「千代田区1番地」だった。1967年(昭和42年)に「千代田区千代田1番1号」に変更。現在に至っている。

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東京五輪前に「外国人にもわかりやすい住所」