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東京ふしぎ探検隊

神田に「1丁目のない町」 住所表記のミステリー

2012/1/27

神田駅西口商店街の外堀通り側。かつては神田司町1丁目だった

江戸っ子の町、東京・神田。地図を片手に歩いていると、気になる場所があった。2丁目はあるのに、どこを探しても「1丁目が見つからない町」があるのだ。謎を追っていくと、日本の住所表記を巡る高度成長期の混乱が浮かび上がってきた。その爪痕は今も全国各地に残っている。

■歴史ある神田多町2丁目、町名変更を拒否

JR神田駅西口を出て目の前の多町(たちょう)大通りを右へ歩いていくと、「多町2丁目」という交差点がある。住所だと神田多町2丁目だ。ビルや商店が立ち並ぶこの町にはかつて、青物市場があった。

神田多町2丁目にある「松本家住宅」は青果物問屋だった

神田青果市場は江戸時代が始まった慶長年間(1596~1615)にできたとされ、1928年(昭和3年)に秋葉原に移転するまでの間、江戸・東京の台所を支え続けた。

町内には1931年(昭和6年)に建てられ、国の登録有形文化財にも指定された「松本家住宅」がある。かつては青果物を扱う問屋だったといい、関東大震災後に建てられた「復興建築」を今に伝える貴重な建物だという。このほか周囲には風情ある古い建物が点在している。

歴史あるこの神田多町には実は、1丁目がない。現地の地名表示にもないし、地図にも見あたらない。あるのは2丁目だけだ。なぜなのか。千代田区に問い合わせてみた。

「かつては神田多町1丁目もあったのですが、1966年(昭和41年)に内神田3丁目に編入されました」。担当者によると、1962年(昭和37年)に施行された「住居表示に関する法律」に基づき、町を再編成したのだという。ではなぜ2丁目は残ったのか?

「神田多町2丁目も内神田3丁目となる予定でしたが、町名への愛着が強かったことから多くの住民が反対したのです」。住居表示法では住民の合意が町の再編の前提となっている。住民が反対した結果、町名変更を受け入れた神田多町1丁目だけが消滅し、2丁目が残ったということらしい。

神田多町はもともと「田町」と呼ばれていた。田んぼを埋め立ててできたことが由来とされている。その後青物市場ができ、繁栄を願って多町と改名した。江戸で最も古い町、江戸古町の1つだったらしい。町ができたのが1606年(慶長11年)というからいかにも古い。歴史ある町名を残したい、との思いが反対運動へとつながったようだ。

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