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歴史博士

孔子は聖人ではなかった? 「論語」の最新解釈

2013/6/2

「学んでときにこれを習う、また説(よろこば)しからずや」――中国の古典「論語」がビジネス・歴史専門誌で相次ぎ特集されている。「先行き不透明な時代の指針として論語に人気が集まる」(渡辺秀樹・洋泉社MOOK編集長)。安冨歩・東大教授の「超訳・論語」(ディスカヴァー21)は40代からシニア層にかけて読まれ、元特捜検事の田中森一氏の「塀のなかで悟った論語」(講談社)もベストセラーをうかがう売れ行きだ。しかし生前の孔子はどこかアヤしいところがあり一流の人物とは見られていなかった。論語も儒教の多くの教典の中では二流の副読本の扱いだった。孔子の実像をたどりながら、最新の論語の読み方を探った。

言い換え、強弁……本当はセコイ?

雑誌の特集や単行本で「論語」が静かなブームだ

中国の春秋戦国時代に生きた孔子は失脚・亡命を余儀なくされた「挫折した政治家」といえる。乱世のさなか小国の宰相格まで上り詰めたが、その後の晩年約14年間は自らの登用先を求めて中国各地を巡回しなければならなかった。孔子の理想主義が当時の君主らに受け入れられなかったとされるが実態はどうか。「諸子百家」(講談社)などの著者、浅野裕一・東北大名誉教授は「孔子の誇大妄想的な考えが敬遠された」とみる。

「礼」によって統一国家を樹立するのが孔子の理想だった。孔子は古代の統一国家「周」の礼法を教える教師として本格的なキャリアをスタートさせた。

しかし孔子は貧しい環境に育ったとされる。白川静氏は「孔子伝」(中央公論新社)で巫女(みこ)の庶子だったろうとしている。その孔子が下級役人などの仕事の合間にどのようにして君主や貴族の儀礼・作法を知り得たのか、その過程は明らかになっていない。「結局あれこれ聞きかじっただけの耳学問ではなかったか」(浅野名誉教授)。

魯国の大廟に入れてもらったときに、孔子は関係者を質問攻めにした。「古い礼法を教えている人が知らないのか」と笑われると「(こういう時はあれこれ質問するのが)礼というものだ」と返した。

君主から桃とキビを下賜されたとき、まずキビを有り難く食べた。「キビは桃の皮をこすり落とすためのものだ」と注意された孔子は「五穀の長であるキビの方が桃よりも尊い食べ物です」。

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