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東京ふしぎ探検隊

新宿南口、線路上に巨大ターミナル 「大新宿駅」が実現

2012/10/26

■堤康次郎氏経営の遊園地があった

1931年(昭和6年)ごろの新宿大通り。当時から日本有数のにぎわいを見せていた(新宿歴史博物館提供)

 そんな場末の新宿駅が飛躍のきっかけをつかんだのが1889年(明治22年)。「新宿―立川」間に甲武鉄道(中央線の前身)が開通し、新宿駅が2つの路線の接続駅となった。1903年(明治36年)には市内への路面電車、1915年(大正4年)には京王電気軌道(現・京王電鉄)がそれぞれ開通し、着々とターミナル駅としての地歩を固めていった。

 新宿の地位を一気に高めたのが1923年(大正12年)の関東大震災。「被害が少なかった新宿や郊外に多くの人が移り住み、駅の利用者が増えました。ちょうどそのころ三越や伊勢丹などの百貨店も進出してきて、東口を中心に一気に開けていったのです」(後藤さん)。新宿歴史博物館では10月27日から企画展「新宿を支える企業の歴史」を予定している。

 当時の新宿には遊園地もあった。その名も「新宿園」。どんな遊園地だったのか。

 新宿歴史博物館がまとめた冊子「ステイション新宿」に詳しく載っていた。開園は1924年(大正13年)。西武グループの創始者、堤康次郎氏が設立した箱根土地(のちのコクド)が経営していたという。

新宿5丁目周辺。かつてこのあたりに遊園地「新宿園」があった。空き地は厚生年金会館跡

 新宿園の売りは劇場や映画館で催す各種の演目で、童話劇やチャップリン主演の映画などを上映していた。しかし入場者は伸びず、1926年には閉鎖に追い込まれる。跡地は住宅地として分譲され、高級住宅街となった。現在の新宿5丁目の一角で、かつて厚生年金会館があった場所の西側だ。訪れてみると、厚年会館の跡地は空き地のままで、新宿園があったと思われる場所にはビルが立ち並んでいた。


■40年前の「大新宿構想」、時を経て実現

 10年以上の歳月をかけて整備されてきた交通結節点。実は、40年ほど前に似たような構想が国鉄内で描かれていた。

 1975年(昭和50年)に発表された「将来の”大”新宿駅の構想」という論文がある。筆者は国鉄の調査課にいた市川政治氏。そこに構想の全貌が書かれていた(「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション4 東京圏国電輸送1960~70」に再掲載)。

 構想の核は3つのターミナル。新宿駅ホームの地下に広い公共空間として整備する「北部ターミナル」。甲州街道の南側に設ける「中央ターミナル」。そして代々木駅側に位置する「南部ターミナル」だ。

 3つのターミナルは地下1階の大通路と3階に設けた人工広場でつながる。地下3階には上越新幹線など新幹線の駅を設ける。甲州街道の南側にあった貨物駅の上には30階程度の「総合交通センタービル」を建設する、というプランだった。

 中央ターミナルは交通結節点として結実した。総合交通センタービルは実現しなかったが、貨物駅の跡地にはタカシマヤタイムズスクエアができた。新幹線の新宿乗り入れは幻となったが、構想発表後、地下鉄3路線が新宿に乗り入れるなどターミナル機能は強化された。開発の方向性は変わっていない。

市川政治「将来の”大”新宿駅の構想」より抜粋(「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション4 東京圏国電輸送1960~70」に再掲載)

 1990年代半ば、甲州街道の橋の架け替え計画が浮上した際、この構想の存在が、議論の方向性に影響したのかもしれない。

 壮大な新宿駅の開発計画。次回は東口と西口で進み始めた計画を追う。(河尻定)

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