新玉川線と田園都市線、銀座線と同じレール幅に
昭和30年代以降に計画された地下鉄はほとんどが1067ミリ。東急も東横線や大井町線などすべての路線で1067ミリを採用していた。それなのに新玉川線は1435ミリで免許を申請した。
1435ミリといえば世界的には「標準軌」と呼ばれるレール幅だが、関東では採用は少ない。なぜわざわざ採用の少ないレール幅を選んだのか。
すべては「銀座線への乗り入れを実現するため」――。東急が1980年(昭和55年)に発行した「新玉川線建設史」は、同社の意気込みを記す。
新玉川線だけではない。この2カ月後に免許申請した新路線も、1435ミリのレール幅だった。溝ノ口(当時)から長津田駅に至る新路線、後の田園都市線だ。都心への進出は沿線の価値を高める、との判断だった。
1年で方針変更 田園都市線は大井町線と接続へ
しかし、方針は1年で覆る。1957年(昭和32年)、同社は「溝ノ口―長津田」の路線に中央林間までを追加。その際、レール幅を1435ミリから1067ミリに変更したのだ。
何が起きたのか。「多摩田園都市開発35年の記録」は、田園都市線側のこんな事情を挙げる。
(1)長津田以遠にも住宅適地が多く、小田急江ノ島線と連絡する方が将来いろいろな面で有利
(2)免許申請中の新玉川線と結ぶよりは、(既に営業している)大井町線の延長として建設する方が実現性が高い
(3)都心方向への旅客輸送は、大井町線と新玉川線が連絡する二子玉川園駅で乗り換えればよい
この時点では、田園都市線は小田急江ノ島線との直通運転を視野に入れていた。
大井町線も小田急もレール幅は1067ミリ。採用する路線が少なく拡張性が低い1435ミリよりも、多くの路線との直通の可能性がある1067ミリの方を選んだ、というわけだ。
こうして田園都市線と銀座線との直通プランは姿を消した。