「逆境が私を育ててくれた」 脚本家・中園ミホ氏
よく笑う。周りを明るくさせる。はっきりと物を言う。だけど物事を決めつけない。優れたドラマ脚本家に贈られる向田邦子賞を受賞したお祝いというコチョウラン以外は、デスクトップパソコンと机、小さなソファしかないシンプルな仕事場を訪ねた。
バブル期にテレビドラマの脚本家としてデビューした。玉の輿(こし)に乗るために合コンを繰り返す客室乗務員を松嶋菜々子が演じた「やまとなでしこ」(2000年)。高いスキルでノルマを淡々とこなすスーパー派遣社員を篠原涼子が演じた「ハケンの品格」(07年)。時代と共に移り変わる女性の生き方と本音を描いてきた。
「(松嶋菜々子が演じた『やまとなでしこ』主人公の神野)桜子はもういない。玉の輿なんて危なくてしかたない。いつ没落するかわからないし、絶対に浮気される(笑)。正社員ですら絶対安定ではない。いつクビになることやら。信じられるのは自分だけ」。今の働く女性像をどのように見るかを問うと、こんな答えが返ってきた。この10年で、かつて多数派だった「夢見がちな女子」はいなくなった。大企業の経営破綻や非正規雇用の増加は、ドラマの主要な視聴者である若い女性も直撃。「ずっと長い間続いてきた価値観が、いかにもろいか気づいちゃった。しっかりして地に足がついているというか、地に足がめりこんでいるくらい」。彼女らを見る視線は客観的で鋭く、あたたかい。
脚本を書く前にはドラマに登場させる人物像を探すかのように、人に可能な限り会う。テレビ局の仲介や人づてで、回数をできるだけ重ねる。そして酒を飲んで話し込む。彼女たちの本音に触れて初めてせりふが生まれる。「取材の中園ミホ」と言われるゆえんだ。
「ハケンの品格」では徹底的に派遣社員の女性に会った。なかなか本音は出てこない。でも粘り強く回数を重ねる。その結果として出合った「ダムが決壊するように言葉があふれ出した瞬間」を忘れることができない。職場への不満、セクハラ、将来への不安――。「取材を受けてくれた人の生の声を届けなければ」と思った。「物語はファンタジーだけど登場人物はリアルに」。実際にはありえないスーパー派遣社員とその職場模様を通して、派遣で働く女性の今を浮き彫りにした。「『変なヒロインが出てくるけどスカッとする!』なんて、昼休みのスタバで自分のドラマの話をしてくれてたら最高の幸せ」。ドラマが高視聴率をたたき出す理由は、女性の気持ちの代弁者への共感なのかもしれない。
34歳で未婚のまま長男を出産した。認知もされないまま。子どもだけは食べさせないとと追い詰められたとき、ひとりで育児をしながら自宅でできる仕事は他に思いつかなかった。「連続ドラマはきつい。もっと楽な仕事があるはずだ。こんなしんどい仕事やめてやる」と思っていた脚本の仕事だが、依頼はすべて受けることにした。
子どもを寝かせて、仕事に集中できるのは夜11時すぎ。徹夜で書いて、子どもを起こして、弁当を作って保育園に送り出す。朝起きられないのが何より怖かった。ホッとして、しーんとした部屋でビールを飲んで、子どもが戻ってくるまで寝る毎日。脚本家としての自信はまだなかったが、毎日歯を食いしばってディスプレーと向き合った。そのときに発表した作品は中山美穂がシングルマザー役を演じた「For You」(1995年)。「テレビ局の方にもサブライターの方にも助けてもらって、こんな駄目な私でもできたじゃない」。全11話を乗り切り、小さな自信を得た。
女性が社会進出する一方で、出産・育児と仕事の両立の難しさが叫ばれるようになって久しい。「日本の少子化はよくわかる。だって無理だもん。働く女性にとって、子どもが熱を出したら終わり。そんな状況なのに、まだ待機児童すら解消されないとか言ってる」。シングルマザーとして、子育てのしづらい国・日本を見ていられない。子どもを育てながら働く女性を「逆境の中の逆境で生きている人たち」と独特の言い回しで表現する。
脚本家デビューから25年。「逆境が私を育ててくれた」。今だから思える。「仕事と子育てに必死にもがくうちに20年近くが過ぎて、違う場所に立っていた。楽なほう楽なほうへと流れる本当に駄目だった私が、やっと1人前になれたかな」という感覚だ。だから明るい未来ばかりではない現代の若い女性にも「逆境が来ても正念場だ! と立ち向かってほしい」「横なぐりの波でも、よし来たぞ! とサーファーが盛り上がるような感じで」と話す。そこに悲壮さは、もうない。ドラマはそんな思いを込めた、女性たちへの応援歌でもある。
息子は19歳、大学2年生になった。徹夜で書いて酒が好きという生活は「もう習慣なので」変わらない。昨年は米倉涼子主演の「ドクターX~外科医・大門未知子~」が民放連続ドラマの年間視聴率1位を記録。プロ意識が高く、組織に属さないフリーの天才女性外科医が痛快に言い放つ「(業務外のことは)いたしません」は、ちょっとした流行語にもなった。この主人公のキャラクターづくりでも参考にした外科医がいるという。次は何を書こう。どんな女性に会えて、どんな話が聞けるのか。何より自分が楽しみにしている。(馬淵洋志)
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