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堀場製作所をグローバル企業に飛躍させた堀場厚会長兼社長。ベンチャーの旗手として名をはせた父親の後を継いでどのようにしてリーダーシップを磨いていったのか。堀場氏のリーダー論を聞いた。

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 リーダーは失敗に学ぶことが欠かせません。人生を振り返って経験した大きな失敗は何ですか

「多すぎて数え切れない。それでも忘れられないのが米国で勤務していた20代の時に取得した飛行機操縦免許試験での大失敗だ。飛行中に燃料が無くなりかけて近くの飛行場に強行着陸した。管制官からは別の飛行場に行けと言われたが30分かかる。でも燃料の残量はちょうど30分しかない。仮に別の飛行場を目指していたら墜落していたかもしれない。大騒ぎになるかと思ったら教官が『パイロットで最も大切なことは人の命令を聞くより、飛行機を墜落させないことだ』と言ってくれた。結果的に何もおとがめはなく、新聞沙汰にもならず、免許も無事に取得できて教官が罰せられることもなかったが、日本ではこうはならなかっただろう」

「この経験は単なる失敗経験ではなく、なぜ米国があれだけタフな一方で日本が弱いのかというのを知るきっかけにもなった。米国はチャレンジ社会。日本はある意味過保護で立ち振る舞いを重視し、何もしない人に甘い。私は少なくとも会社を経営する上では出る杭(くい)を徹底して伸ばす。逆に何もしない人には厳しく対処する」

 リーダーとしての習慣は何かありますか。

「出張や来客などの特別な予定がない限り、毎朝8時15分には必ず会社にいるようにしている。どんなに宴席で夜遅くなったり、海外出張から帰ってきた後も徹底している。当社はメーカー。工場が動き出す前に必ず責任者がいることが大切だ。私がそうすることで経営陣や管理職にもそういう意識が自然と習慣づく」

創業者の堀場雅夫氏

創業者の堀場雅夫氏

2015年7月に亡くなった創業者で父親の堀場雅夫さんは日本のベンチャー界の旗手としても大きな人物でありました。そんな父親を否定して新たにつくった企業文化はありますか。

「父が社長をしていた当時(1945~78年)は研究開発に特化した企業で、『良いモノさえ作っていれば必ず顧客が付いてくる』という信念があった。でも一点特化型だとうまくいかずに、経営がつまづくこともある。ある程度のバランス経営が必要で、今は自社で営業体制もつくり、事業も自動車中心から半導体や医用など幅広いセグメントで経営をしている。それは人間も同じことでしょう。特化した技術で行くのもいいが、色んな訓練は必要だと思う」

「実は私は研修は大嫌いだが、独自の研修所(FUN HOUSE)を作った。父の頃は世界各国に拠点を立ち上げる中で様々な困難を誰もが経験してきた。だが堀場製作所はある程度の事業規模になった今、若手社員にこうした疑似体験をできる場所を用意しないとバランスが悪くなるとの思いからだ。この10年間、それまでの研修内容を体系化した『堀場カレッジ』という社内研修講座を用意している」

「講座数は約250あり、ほとんど社員が講師を務める。社内講師にこだわるのにも意味がある。第三者が教えるのと知っている先輩が教えるのでは真剣度が全く変わってくるからだ。研修を受ける若手にとっては『あの先輩がこれをしてきたのか』と敬意を払い日々の業務での交流が活発になっていく。一方で教える側もこれまで培ってきた経験を体系立てて整理し、数々の教育ツールに落とし込んでいく中で知やノウハウが次世代に継承されていく」

 創業者が築いてきたものを受け継ぎ、より高めて行くことは難しいです。課題となっている企業も多い中で、どうやってその壁を乗り越えてきましたか。

「社長になる時に父から『社長をせい』と言われたことはなく、経営についても全てを任せてもらっていた。経営方針を巡って、専務時代には創業者や前任の社長と衝突することはあったが、92年に社長に就任したとたん父は何も言わなくなり『ああせい、こうせい』というのも一切なくなった。今の私の立場から考えても、創業者が自分の会社について何も言わないというのは大変なことだったと思う。それでも父は一貫していた。だから私はその裏返しに、会社の情報の全てを包み隠さずに伝えるようにした。2週間に1度、『朝食会』と称して父と二人で2時間ほど話し合う場を父が亡くなるまでの二十数年間続けた。この時も父に経営の相談はしない。唯一、90年代に海外M&A(合併・買収)に乗り出す際に『借金経営になってもいいか?』ということだけを話したら、『お前が経営しているんだからお前の好きにしたらいい』と後押ししてくれた。自分自身がベストだと思った経営を続けていけたことが最も大きかっただろう」

堀場厚氏(ほりば・あつし)
1971年甲南大学理学部卒、77年カリフォルニア大学大学院電子工学科修了、71年4月オルソン・ホリバ社(米国)入社。72年堀場製作所入社。82年取締役海外本部長、92年に社長、2005年から会長兼務

(古川慶一、代慶達也)

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