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セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼CEO

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼CEO

セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(CEO)の鈴木敏文氏(83)が退任を決めました。引き金となったのは鈴木氏によるセブン―イレブン・ジャパンの井阪隆一社長兼最高執行責任者(COO、58)の交代案が取締役会で信任されなかったため。しかし、背景には創業者で大株主の伊藤雅俊名誉会長(91)との関係変化があるといわれます。1つの会社に2人の「創業者」はやはり並び立たないのでしょうか。

「鈴木敏文さんの息子さんがうちにいるからね」。2001年、孫正義氏率いるソフトバンクの社外取締役を鈴木氏はわずか半年程度ですが務めていました。当時の孫氏は経済界の異端児。ネットバブル崩壊で大幅赤字に陥っていました。大物経済人の鈴木氏の存在は奇異に映りましたが、ソフトバンクには鈴木氏の次男である康弘氏がシステム担当者として勤務していたのです。

「いや、いい人ですが、実績はねえ」。当時のソフトバンク幹部に康弘氏の実績を聞いた際、こういってお茶を濁されました。

その後、康弘氏はセブン&アイグループに転職。とんとん拍子で出世し、ネット事業の重責を担います。15年5月には康弘氏はセブン&アイ本体の取締役に就任し、最高情報責任者(CIO)になりました。「鈴木氏の次男が後継者」という観測は業界中に広まりました。しかし、康弘氏が担ってきたセブン&アイのネット事業は5期連続で赤字を計上。グループ内に反発する声も出てきたのです。

一方、創業者の伊藤雅俊氏にも2人の息子がいます。長男は専務にまで昇進しましたが、突如辞任。次男の順朗氏は取締役ですが、枢要なポストからははずされたといいます。卒寿を迎えても毎日出社しているといわれた雅俊氏も、穏やかならぬ情勢になったのです。

しかし、現在のセブン&アイグループを日本最大級の流通グループに育てたのは明らかに鈴木氏の功績です。スーパーとは真逆のビジネスモデルのコンビニエンスストアを日本市場に持ち込んだ鈴木氏は流通業界のイノベーターです。中興の祖という以上に、第2の創業者のような存在です。仮説と検証、徹底したデータ分析に基づく合理的な経営手法は今も小売業界のお手本であることは間違いありません。

IT経営が専門の早稲田大学ビジネススクールの根来龍之教授も「セブン―イレブンの仕組みはしゃれていて、先進的なシステム」と評価します。

セブン―イレブン・ジャパンの井阪隆一社長

セブン―イレブン・ジャパンの井阪隆一社長

鈴木氏は常に自らにも部下にも厳しい経営者です。井阪社長の交代理由を「物足りないから」と語りましたが、これは鈴木氏が常に社員に語ってきた常とう句です。一切妥協せず、顧客ニーズに合う最適な商品を最適な時間内に届ける。これが鈴木氏の基本姿勢です。12年に日本経済新聞に掲載された井阪氏の「私の課長時代」に鈴木氏との生々しいやり取りがありますが、まさに剛腕トップと課長クラスの部下との関係。井阪氏は「毎日がまな板の上のコイだった」と振り返っていますが、現在もそのような上下関係が続いていたのでしょうか。

根来教授は「会社のシステムは確立されており、鈴木氏が退任してもすぐ影響が出るわけではないだろう」とみます。カリスマが消えて社内が混乱するのか、「重い石がとれて逆に活性化するのか、まだ分かりませんね」という。

7日の記者会見で、鈴木氏は「なぜ息子のことが」と絶句しながらも、雅俊氏ら創業家との関係が変わったことは認めました。「結局、2人の創業者は並び立たなかった」とセブン&アイ元幹部は語ります。80歳を超えたCEOと90歳過ぎの創業者。巨大流通グループを突如襲った「セブンの変」。「創業者」の業はあまりにも深すぎます。

(代慶達也)

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