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小林愛実さん コンクール後もショパン大好き

2016/4/9

 ポーランドの首都ワルシャワで5年に1度開かれるショパン国際ピアノコンクール。2015年の第17回大会では小林愛実さん(20)が日本人最高位の10人のファイナリスト入りを果たした。9歳で国際デビューした早熟のピアニストだが、あえて最難関といわれるコンクールに挑んだ。その体験とショパンへの変わらない思いを「ノクターン(夜想曲)第20番」の演奏を交えて語った。

 フレデリック・ショパン(1810~49年)はフランス人の父とポーランド人の母のもとにポーランドで生まれた。20歳で出国して以来、二度とポーランドに戻ることなくパリで没した。その名を冠したショパン国際ピアノコンクールは、ポーランドの威信をかけた大会であり、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクール、ロシアのチャイコフスキー国際コンクールと並び世界三大コンクールの一つといわれる。

 日本人の優勝者はまだいない。1970年の内田光子さんの2位が最高位だ。2010年の第16回大会では日本人が一人もファイナリストに残らなかった。それだけに小林さんの15年大会でのファイナリスト入りは久々の快挙といえる。ちなみに優勝は韓国のチョ・ソンジン氏(21)。1980年のベトナムのダン・タイ・ソン氏、2000年の中国のユンディ・リ氏に続きアジア人としては3人目の優勝者であり、アジア地域の演奏水準が全体に向上しているのは確かなようだ。

ショパン国際ピアノコンクールやショパンへの思いを語るピアニストの小林愛実さん(3月30日、東京都中央区のヤマハ銀座コンサートサロンにて)

 3月30日の練習日、小林さんがヤマハ銀座コンサートサロン(東京・中央)で弾き始めたのは、ショパンがワルシャワを去る前の20歳の頃に作曲した「ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作」。偶然にも「20」の数字が重なる。20歳の小林さんが、20歳の頃のショパンの手による「ノクターン第20番」を弾く。「お母さんに『大好きな曲だから弾いて』と言われ、小学3年生のときのコンクールで初めて演奏した」と小林さんは愛着のあるこの曲との出合いを語る。

 「遺作と呼ばれますが、実際はショパンがとても若い頃に書いた作品」と彼女は曲の若くみずみずしい感性を指摘する。ショパンの「ピアノ協奏曲第2番」を弾くための練習用として姉のルドヴィカに贈った曲といわれ、「協奏曲で使われる美しいメロディーが出てくる」。「遺作」なのは、この曲の楽譜がショパンの死後に出版されたからだろう。作品番号もない。古い録音、例えばノクターン全集の定番の一つ、ルービンシュタインの「夜想曲集(全19曲)」には収録されていない。

 そんな「遺作」が一躍有名になったのは、2002年公開のロマン・ポランスキー監督の映画「戦場のピアニスト」で使われたからだ。第2次世界大戦下のポーランドを生き延びるユダヤ人ピアニストを描いた映画だが、戦前のワルシャワ市街のモノクロ映像による冒頭のシーンからこの曲が流れる。ナチスドイツによるホロコーストの残虐性が全編を覆う中で、愛らしくもはかない一輪の花のような音楽だ。ショパンの作品の中でも人気の高い曲となり、平原綾香さんの「カンパニュラの恋」などJポップにも編曲されている。

 「大好きな曲。今もアンコールで時々弾く」と小林さんは話す。ショパンコンクールで6位以内の入賞を逃した時には「落ち込んだ」と言うが、最近はコンクールよりも公演やCD録音の実績が評価される傾向もある。エフゲニー・キーシン氏や小菅優さんら、世界の第一線で活躍するピアニストの中には、権威ある国際コンクールを経験せずに実力を示し続けている人も多い。小林さんも幼少期から公演で才能を発揮し「天才少女」と呼ばれてきた。

 コンクールを終えて今秋には米フィラデルフィア・カーティス音楽院に復学する。その前に4月20日、東京オペラシティコンサートホール(東京・新宿)でリサイタルを開き、ドビュッシー、モーツァルト、リストの作品を弾く。「私は小柄で手も小さいので(リストのような超絶技巧の作品は)大変なのですが、今はいろんな作曲家の作品に挑みたい」。ショパンの作品が表向き演目に入っていないが、「ショパンはこれからも私にとって特別の作曲家であり続けます」と笑顔で語った。アンコールでは弾いてくれるかもしれない。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)

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