阪神大震災への思い

鶴野さんが70歳までの職場として神戸支店を選んだのは、阪神大震災の時に同支店に勤務しており、その時の思い入れが強いためだ。支店の統括課長だった鶴野さんは、震災当日、西宮市夙川の自宅から支店のある神戸・三宮まで歩き、社員110人の安否確認に奔走した。リュックサックにタオルと水を詰め込み、自宅を訪ねて歩いた。幸い社員は全員無事だったが、当時の顧客の中には亡くなった人もいた。そこから5年、神戸の街の復興とともに、顧客も戻ってきた。震災直後の大きな苦労や悲しみ、どん底から積み重ねた小さな喜びとささやかな幸福の日々。あの5年間が忘れられず、定年後、70歳まで働くと決めた時、その舞台に迷わず神戸支店を選んだ。

上司はかつての部下

神戸支店での上司にあたる貝沼信行支店長は、鶴野さんが大阪支店の部長だった時、ラインの課長だった。今は立場が逆転し、かつての部下が上司なわけだが、「こういう状況を素直に受け入れることができないと、70歳まで働くのはつらいと思う。私は特にこだわりはない」(鶴野さん)。支店長の貝沼さんは「部下に期待していることを、鶴野さんは率先してやってくれる。それをみて若手社員も動き出す。とても助かっている」と語る。例えば、販売の目標達成が難しくなった月末、支店長が発破をかけると、真っ先に受話器を取るのが鶴野さんだ。「私もかつて管理職だった。支店長が下に何を期待しているのか、手に取るようにわかるから、動いているだけ」(鶴野さん)。先輩風を吹かすこともなく、黙って気持ちを忖度(そんたく)して動いてくれるベテランの存在は、支店にとって貴重だ。