出世ナビ

キャリアコラム

70歳まで営業マン 部下と逆転でも働きますか 大和証券 鶴野哲司さん

2016/4/15

 もしも会社から、今の仕事を70歳まで続けていいと言われたら、どうするか。もう十分働いたと60歳でリタイアするか、65歳までは働くか。あるいはせっかく声をかけてくれたので70歳まで頑張るか。選択肢は様々だが、証券会社で個人向け営業の仕事を70歳まで続ける道を選んだ男がいる。体が動くうちは、長年やってきた好きな仕事を続けたい。元気に働いて税金を払うことが、最大の社会への貢献だと思うからだ。

 大和証券神戸支店の鶴野哲司さんは66歳。個人投資家向けに株式や投資信託を販売する営業の仕事を続けている。大和の定年は60歳。希望すれば5年間、継続して勤務できる。ここまではよくある制度だが、大和は2013年、個人営業職に限って70歳まで働くことができる継続雇用制度を導入した。鶴野さんはその第1号だ。今年7月、67歳になるので、70歳まであと3年ちょっと働ける。大和では鶴野さんを含め、2人が70歳まで働く道を選んでいる。

鶴野さん

 鶴野さんの肩書は「上席アドバイザー」だ。これは大和が個人営業の担当者を対象に設けた独自の制度で、40歳代後半から60歳代まで、転勤せずに自分の希望する支店で仕事を続けることができる。子供ができて家を購入し、ずっとこの地で子育てをしたいと考える人、親の介護のために出身地に戻った人など、生涯、今の職場で働きたいと考える社員にとって、上席アドバイザーは魅力的な制度だ。給与面などの待遇も変わらない。現在、大和では150人ほどが上席アドバイザーとして仕事をしている。このうち70歳まで働く道を選んだのは、まだ2人しかいないが、「40歳代後半から50歳代の社員が多いので、これから希望者が増えてくるのではないか」(大和証券人事部)という。

 阪神大震災への思い

 鶴野さんが70歳までの職場として神戸支店を選んだのは、阪神大震災の時に同支店に勤務しており、その時の思い入れが強いためだ。支店の統括課長だった鶴野さんは、震災当日、西宮市夙川の自宅から支店のある神戸・三宮まで歩き、社員110人の安否確認に奔走した。リュックサックにタオルと水を詰め込み、自宅を訪ねて歩いた。幸い社員は全員無事だったが、当時の顧客の中には亡くなった人もいた。そこから5年、神戸の街の復興とともに、顧客も戻ってきた。震災直後の大きな苦労や悲しみ、どん底から積み重ねた小さな喜びとささやかな幸福の日々。あの5年間が忘れられず、定年後、70歳まで働くと決めた時、その舞台に迷わず神戸支店を選んだ。

 上司はかつての部下

 神戸支店での上司にあたる貝沼信行支店長は、鶴野さんが大阪支店の部長だった時、ラインの課長だった。今は立場が逆転し、かつての部下が上司なわけだが、「こういう状況を素直に受け入れることができないと、70歳まで働くのはつらいと思う。私は特にこだわりはない」(鶴野さん)。支店長の貝沼さんは「部下に期待していることを、鶴野さんは率先してやってくれる。それをみて若手社員も動き出す。とても助かっている」と語る。例えば、販売の目標達成が難しくなった月末、支店長が発破をかけると、真っ先に受話器を取るのが鶴野さんだ。「私もかつて管理職だった。支店長が下に何を期待しているのか、手に取るようにわかるから、動いているだけ」(鶴野さん)。先輩風を吹かすこともなく、黙って気持ちを忖度(そんたく)して動いてくれるベテランの存在は、支店にとって貴重だ。

 60歳までとそれ以降では、仕事のやり方も変わってきた。以前は注文を取ろう、手数料を稼ごうという意識が強かったが、今は顧客と会って話すこと、それ自体が楽しい。顧客の自宅を訪問し、庭の樹木や草花について語り、趣味や健康について語り、仕事の話は最後の最後。それでも営業成績は支店の真ん中より下になることはない。シニア層の顧客にとって、年齢が近い鶴野さんは良き相談相手であり、安心して自分の資産を託すことができるのだろう。気になる給与だが、月給は定年後、それまでの6~7割程度になるが、賞与は変わらない。鶴野さんのように実績が上がれば、年収で1000万円超を維持することも可能だという。

 長い証券人生、失敗もたくさんした。宮崎支店時代、甲子園常連校の余資運用を任されたものの大損し、野球部の専用グラウンドの建設資金が吹っ飛んでしまった。東京都内の自由が丘支店時代には信用取引で薦めた銘柄が暴落し、3000万円の資金が数日で10分の1になってしまった。鶴野さんは、神戸支店の若手がアドバイスを求めてくれば、気軽に応じている。支店長の貝沼氏は「鶴野さんは若手社員にとって、自分の将来像を描くうえでモデルの一つ」と指摘する。若いうちは夢もあるが、全員が役員になれるわけではない。それなら生涯一営業マンとして、好きな土地で70歳まで働く。こんな人生もありだろう。貝沼さんも最近、「鶴野さんのように70歳まで個人営業の仕事をしたいと思うようになった」という。

 日本の会社では、かつてに比べ若手社員の出世願望が小さくなっていると聞く。気持ちをゆったり持って、あせらず、細く、長くコツコツ働く。こんな生き方に共感する若者も多いのではないか。

(編集委員 鈴木亮)=肩書は取材当時

「キャリアコラム」記事一覧

出世ナビ新着記事

ALL CHANNEL