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MBAはこう使う!

「給料どう決めれば…?」開業医がMBAに挑んだワケ 医療法人おひさま会理事長 山口高秀氏(上)

2016/4/4

MBAを目指すのは、ビジネスパーソンとは限らない。神戸市を本拠とする医療法人おひさま会の山口高秀理事長(41)は、自ら開業した在宅医療クリニックの事業を拡大するため、グロービス経営大学院の門をくぐった。高齢化が猛スピードで進み、在宅医療の充実が叫ばれる中、MBAを武器に在宅医療の推進に取り組む。

■大阪大学医学部を卒業後、同特殊救急部に入局し、重篤な患者を治療する救命救急センターで働き始めた。

医者を目指したのは、子供のころ、かかりつけの近所の診療所の先生にあこがれたからです。たまたま勉強もできたので、予定通り医学部に進みました。

卒業後は、患者に最初に接することができる医療現場の最前線で働きたいと思い、希望して救命救急センターに配属してもらいました。勤務地は実家に近い大阪南部。場所柄、大けがをした労働者や刃物で刺された人など、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際という人がけっこう担ぎ込まれてきて、そういう意味では期待通りの職場でした。

ところが 徐々に救命救急センターを取り巻く環境が変わり、それに伴い仕事に対する私の考えも変わり始めました。

例えば、労働環境の改善で労災が減少。シートベルトの装着の徹底や飲酒運転の取り締まり強化で、交通事故で瀕死の重傷を負う人も減り始めました。

一方で、高齢化の進行に伴い、終末期のがん患者が息が止まったといって担ぎ込まれてくる。あるいは、80歳ぐらいの高齢者が誤嚥性肺炎で運ばれてくる。私が救命の仕事に抱いてきたイメージや受けてきたトレーニングの内容と、実際の患者の病状が、ミスマッチを起こすようになっていました。

別の問題にも気付き始めました。救命救急センターに運ばれてくるような患者は、一命を取り留めたとしても、何らかの障害が残ってしまうケースが多いのです。再入院や通院が必要となり、病院はそういう患者であふれていました。患者にとっても、一生、医療の手を借りながら生きていかなければならない。救急医をやめるときがきたら、そういう患者さんたちの面倒をみるためのクリニックを作れないかと、考えるようになりました。

■働き始めて7年目の2006年、独立した。

クリニックの開設を漠然と考え始めたころ、厚生労働省が在宅医療を診療報酬制度の中に組み入れることを決めました。在宅医療の制度化です。本当は、クリニックを開くのは、救命救急センターの仕事が体力的にきつくなる50歳前後ぐらいかなとのんびり構えていたのですが、国が制度化に踏み切ったことで、気が変わりました。どうせ参入するなら、制度ができた初期の段階に参入した方が、何かと有利だと考えたわけです。

とはいえ、突然のことで、開業資金がありません。そこで最初は、在宅医療に関心のある医療法人を探し、雇われ院長として始めることを計画しました。

ちょうど神戸に開業を予定している医療法人を見つけ、そこの院長に就任することも決まりました。ところが、その医療法人が突然、計画を中止したのです。こちらはすでに職場に辞表まで出し、引くに引けません。幸運だったのは、開業場所が新築の民間有料老人ホームの1階だったこと。経営者は建物内にクリニックが入ることを売りに入居者を募集していたので、クリニックが入らなかったら、あちらとしても困る。交渉して開業資金を融資してもらう約束を取り付け、何とか開業にこぎつけました。

というわけで、綿密な計画があったわけではなく、あれよあれよという間に独立していたというのが実態ですが、スタートは順調でした。大きかったのは、就職先を探していた時に知り合った元外商のビジネスパートナーの存在です。彼は、顧客のニーズを丹念にすくい上げるという外商の経験を生かし、新しい形の在宅医療サポートの仕組みを開発していました。その彼のアイデアを生かしながら、スタッフがきめ細かく患者のニーズを拾う体制を整えたことで、ゼロからのスタートでも何とかクリニックを回していくことができました。

経営が軌道に乗り、スタッフも4人、5人と増やしていきました。しかし、医師としての活動しかしてこなかった私にはスタッフをどう管理すればよいのか、わからなかったのです。大きな夢は描けたものの、恥ずかしいことに、スタッフの給料をどう決めるかとか、実際の組織運営に関しては何から何までわからないことだらけだったのです。自分で勉強しようと片っ端から経営書も読んでみましたが、どれもしっくりきません。これでは描いた夢が、志が、幻になってしまうと危機感を抱きました。

■2009年、クリニックを経営するかたわら、グロービス経営大学院の大阪校に通い始めた。

3年で卒業するつもりで、授業は土日だけにしました。しかし、在宅医療の仕事に週末はありません。週末でも患者さんから電話がかかってきますし、必要なら患者の自宅に診察に向かうこともあります。

ですから、授業中も、クリニックのスタッフからの電話はいつでも取れるようにしておき、実際にかかってきたら、数分間、教室を抜け出し、スタッフに対応を指示していました。幸いだったのは、グロービスはグループワークが多いので、少しぐらいなら授業を抜けてもあまり目立たずに済んだことです。

ただ、どうしても患者さんを診なければならず、授業の途中で退席したことも2、3度ありました。それはさすがに成績にも響きましたが、やむをえませんでした。

グロービスの授業はほとんどがケーススタディーなので、授業の前にきちんとケースを読み込んでいかなければなりません。予習時間は1科目につき、だいたい8時間かけました。週に3コマとっていたので、予習時間は全部で週24時間ということになります。毎朝3時に起きて3時間ぐらい勉強し、それから仕事をして、仕事が終わったらまた勉強という日々でした。睡眠時間は平均4、5時間ぐらいだったと思います。患者さんの自宅に向かう車の助手席で、教科書を広げたりしたこともありました。

体力的にも時間的にも非常にきつい3年間でしたが、最後までやり遂げることができた要因の1つは、一緒に勉強した仲間の存在だったと思います。私も一応医学部なので偏差値は高いはずなのですが、彼らと議論すると、その年まで、いかに自分が医療のことしか知らない偏った人間だったかということが、身にしみてわかりました。彼らとの議論を通じて大いに刺激を受けると同時に、彼らに何とか追い付きたいという気持ちが、勉強を続けるモチベーションになりました。

インタビュー/構成 猪瀬 聖(フリージャーナリスト)

[日経Bizアカデミー2016年2月15日付]

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