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アフリカでボランティア2年~力不足痛感、MBA取得へ NPO法人AfriMedico代表 町井恵理氏(上)

2016/3/14

 アフリカで医療支援事業を展開するNPO法人AfriMedico(アフリメディコ http://afrimedico.org/)。薬剤師でもある町井恵理代表(38)は、かつて青年海外協力隊として、アフリカで医療ボランティア活動に従事した。ところがそこで、自らの力不足を痛感。もっと貢献できるよう自分の能力を高める決意をし、帰国後にグロービス経営大学院で学び始めた。

■ボランティアのきっかけは大学時代のインド旅行だった。

 医薬品の研究者である父と薬剤師の母の影響もあり、大学は薬学部に進みました。在学中、バックパッカーとして友人とインドに旅行した時、マザーテレサの施設でボランティアを体験。孤児たちの身の周りの世話をしました。それがボランティアにはまったきっかけです。なぜはまったのか自分でもいまだによくわかりませんが、それを機に将来は本格的にボランティア活動にかかわりたいと思うようになりました。

 大学卒業後は、外資系製薬会社に就職してMR(医薬情報担当者)の仕事をしつつ、短期のボランティア活動を続けていました。しかし、短期だと自分した活動が正しいのか見直すことができず、長期でボランティアをしたいという気持ちに徐々に変化していきました。

 ただ、MRの仕事も面白く、結局、その製薬会社には約6年勤務。営業なので、頑張っただけ数字に表れて達成感を得ることができたのが、面白く感じたところです。

 しかし、やはりボランティアへの思いを断ち切れず、青年海外協力隊に応募しました。ところが、「薬剤師」の職種で応募したのですが、病院勤務の経験が少なかったため、不合格に。それで、「感染症対策」という職種に変更したら、2度目に合格しました。会社を辞め、西アフリカのニジェールに赴任しました。

 赴任までの道のりも簡単ではありませんでした。親にアフリカに行くことを伝えると、「戦争に送り出す気分だ」と猛反対されました。説得に2、3カ月かかり、親戚には黙ったまま日本をたちました。けれども、反対されても自分の意志を貫く覚悟があったからこそ、後に降り掛かった様々な問題に対しても負けずに乗り越えられたのだと思います。

■現地では2年間、医療支援活動に従事。力を尽くしたものの、同時に自分の力の限界も感じた。

 渡航前は、アフリカで暮らすことに不安はなかったのですが、現地での生活は想像以上に過酷でした。サハラ砂漠の真ん中にあるニジェールは、最高気温が50度を超え、時期によっては、野菜などの生鮮食品が極端に手に入りにくくなります。

 赴任1年目に栄養失調で倒れ、入院しました。意識がもうろうとする中、死ぬかもしれないと思いながら本部に連絡し、車で迎えに来てもらい、そのまま病院に運ばれました。後で配属先の病院の同僚に聞いたら、みんな乾燥保存した野菜をスープに入れて食べるなどの工夫をしていました。現地に入り込み、現地の文化に合わせて生活することがとても重要だと痛感しました。

 仕事は感染症予防のための啓発活動でした。例えば、マラリアは蚊から感染するので寝る時は蚊帳を吊りましょうとかエイズに感染しないようコンドームを使いましょうとか、正しい情報を現地の人に教え、実践するよう促すのが仕事でした。

 ボランティアというと、つい人に何かやってあげたいという気持ちが先走り、独りよがりになりがちなので、そうならないよう最初に現地の人にアンケートをとり、何をすべきかを考えました。アンケートの結果、感染症に関する正しい知識を持っていたのは、全体のわずか20%ぐらい。正確な知識を持ってもらうことが必要だと考え、識字率が低かったので紙芝居を作ったりラジオを活用したりしながら、2年間啓発活動を続けました。任期が終了する前に同じアンケートを実施したら、知識の正答率は90%ぐらいに上がっていました。

 ところが、いくら正しい知識を得ても、それだけでは問題が解決しないことがわかりました。例えば、マラリアの予防に蚊帳が有効だとわかっていても、実践しない。なぜなら、蚊帳を買うお金がない、どこで買えるのかも知らないからです。この結果を見て、私は2年間、いったい何をやっていたんだろうと情けなくなりました。

 その時強く思ったのは、このままボランティアを続けるにしても、今のままの自分ではこれ以上のことはできない。ちゃんと成果を出すためには、自分自身の力をもっと高めないといけないということでした。

 また、ボランティアといっても、単発の活動ではなく、現地に根付くような持続可能な活動でないと、問題解決につながらないことがわかりました。持続可能な組織の作り方や組織運営の仕方を勉強すれば、今後の活動に生かせるのではないかと考え、ビジネススクールに行こうと決心しました。

■帰国後、別の外資系製薬会社にMRとして就職。働きながらビジネススクールに通い始めた。

 海外のビジネススクールも考えましたが、2年間、親に心配を掛けたので、親の近くで少し親孝行したいという思いと、日本で人のネットワークを広げたいと考えから、働きながら地元のグロービス大阪校に通うことにしました。

 授業は平日夜と週末。他の生徒と同じように、私も仕事の合間の隙間時間を利用したり、睡眠時間を削ったり、朝早く起きて勉強したりして、何とか授業に付いて行きました。非常にきつかったですが、辞める気は全くありませんでした。授業がとても面白かったからです。

 例えば、人事やマーケティングに関しては、これまで仕事で体感して何となくわかっていたことが、授業で体系的に学ぶことで、頭の中できちんと整理し理解できるようになりました。すると、人にきちんと説明できるようになります。MRは人に説明するのが仕事なので、仕事にも非常に役立ちました。数字と経営が密接につながっていることを実感でき、とても面白かった。授業に行くたび、新たな学びがありました。

 授業以外でも得るものがたくさんありました。1つの業界に長くいると、外部から刺激を受ける機会はそう多くありません。しかし、グロービスでは様々な業界の人が学んでいるので、刺激を受けることばかりでした。授業中だけでなく、有志による勉強会やクラスメートとの食事会、飲み会の場でも大いに刺激を受けました。授業料以上に、飲み代にお金を使っていたような気もします(笑)。

インタビュー/構成 猪瀬 聖(フリージャーナリスト)

[日経Bizアカデミー2016年3月14日付]

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