銚子電鉄を助ける秘策 煎餅焼いても電車を動かす
「何ぶらぶらしているんだ」。社内を歩いていると、久しぶりに会う同僚になかば叱責を受けるアシスタントの松本千恵です。苅谷さんのギャグに付き合っているんですよ、タレントにしては普通だねなどといわれるんですよ、といった自分の苦悩を伝えるのも面倒くさいので「ありがとうございます」と大人の対応(?)にも慣れてまいりました。
煎餅がないと走れない電車
外川駅からふたたび銚子電気鉄道の電車に乗って犬吠駅を降りると、ヒビの入った古く白い壁に青い西洋風のタイルが埋め込まれた入り口が見えてきました。「ポルトガルの宮殿風建築なんだよ」と編集長。突然現れた南欧の雰囲気に戸惑いつつ、このおしゃれな外観から第1回「関東の駅百選」に選ばれたとか。駅舎から漂ってくるのは、しょうゆの焼ける香ばしいにおいです。空腹の虫が大音響を立てるので、足早に向かうと2人の女性が網の上で煎餅を焼き、しょうゆで味を付けていました。これぞこの旅のお目当てのひとつ、銚子電鉄の名物「ぬれ煎餅」です。
実は銚子電鉄、食品加工業による年間3億8000万の収益が、赤字(1億3800万円)の鉄道事業を支えています。昭和30年代は年間250万人を超える乗客を運んだものの、年号が平成に変わるころにはすでに100万人を下回りました。廃線の危機と隣り合わせのなか当時の社長の横領が発覚し、行政からの補助金も打ち切られて万事休す、という状況で会社を救ったのが「ぬれ煎餅」だったのです。
犬吠駅から車で15分ほどの距離にある、ぬれ煎餅直売店を訪れたところ、歴史について話をうかがうことができました。直売店「ぬれ煎餅駅」の山嵜貴史駅長(53)は、「今も電車を走らせるために煎餅を焼いているのです」と言います。
食品加工業に携わる従業員約40人に対し、鉄道事業にかかわるのは10人ほど。ぬれ煎餅の工場で働いたり、販売に携わったりする人のなかには、かつて車掌として働いていた人もいるそうです。「鉄道マンから煎餅マンになっても、地元を愛しているから、銚子電鉄を存続させるために奮闘しています」
今年1月からは、銚子エリアに住む高齢者を主なターゲットに、食品などを宅配する事業を始めました。地元のスーパーが倒産し、思うように食料が手に入らなくなった高齢者らが増えたためです。電車を使い駅から駅へ食材を運んだり、自宅へ車を使って食料品などを運んだりしています。
本業である鉄道事業も、「廃線ギリギリ」「ぼろぼろ」を逆手にとった画期的な取り組みをしています。昨年夏には、電車そのものをお化け屋敷にする「おばけ列車」を運行したところ、夏休みを楽しむ子どもたちで満席になったそうです。
鉄道をファンが救えるか ネーミングライツ
犬吠駅を後にしたわたしたちは、始発の銚子駅から5駅の「笠上黒生(かさがみくろはえ)」駅へ。「ある意味、秘境駅ですから」。大川原健ディレクターの言葉に引かれて向かった先はなんと一面のキャベツ畑。舗装されていない道を指し、「笠上黒生駅はこちら」と案内板があります。
キャベツ畑を尻目に、住宅の間を歩いて行くとそこには……公民館のような共用トイレの木の壁に「笠上黒生駅→」という看板。確かに、3段ほどの階段を上がるとそこにはプラットフォーム。駅舎には、駅係員の方もいます。確かに、これは気づきません。ある意味秘境駅です。
ただ、気になるのは「笠上黒生駅」と「髪毛黒生駅」という看板。よく似た名前の駅名が2つ印字されているのです。「笠上黒生」駅の係員に話を聞いたところ、駅の愛称を1年間、「ネーミングライツ(命名権)」で売却したそうです。購入した会社は育毛用シャンプーの販売会社「メソケアプラス」(東京・新橋)。購入を記念し、髪の毛によいとされる昆布を使った「髪毛黒生」駅の記念入場券を発売したところ、あっという間に完売。係員に「もうないんですか」と尋ねましたが、見本もなくなっていました。残念。
ちなみにネーミングライツは前回ご紹介した、観音駅の愛称、藤工務所など、9駅を企業が購入しています。
「日本一」の多い銚子
銚子、といえば忘れてはならないのがしょうゆ全国シェア2位のヤマサ醤油です。鉄道ファンにもヤマサは知られています。ヤマサの工場には、大正末期に輸入された「オットー」というドイツ製のディーゼル機関車が展示されています。昭和39年までヤマサの工場で働いていた機関車が当時のまま、残されています。
工場の一角では、しょうゆを使ったソフトクリーム(税込み250円)やロールケーキ(税込み300円)も販売。一瞬ためらいましたが、しょうゆの香ばしさと甘さは想像よりもぴったり。銚子を訪れた際は、試してみては。
銚子の街は、ほかにも日本で大きなシェアを誇るものが多くあります。サンマやサバなど、水揚げ量は4年連続で日本一を誇る銚子漁港。関東最東端である犬吠埼は、日本で一番早く日の出を見ることができる場所でもあります。
ところが、現在の人口は9万人を超えていた1970年から2万人以上も減少。千葉県では、最も大きな減少率となっています。銚子電鉄の抱える課題は、日本の人口減少問題を色濃く映す鏡。「交流人口を増やさなければならない」(銚子市観光協会の吉原正巳会長)という期待と、街で余生を過ごす高齢者たちの生活。銚子電鉄は危機と闘いながらも手段を選ばず、「運輸」のビジネスを起点に街のインフラとしての顔も見せ始めています。鉄道の基本、「人々の足である」という強い信念を見ることができました。
(メディア開発部 松本千恵)
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