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こだわりOFF

泊まって味わうポストモダン建築の代表作

2016/2/10

日経アーキテクチュア

高度経済成長期に建設された庁舎や文化施設などが建て替えの時期を迎えている。一部の貴重な建築物には保存活用を求めて要望書を提出する動きなどもあるが、あっさりと消えてしまう建物も多い。1970年代後半から90年代はじめに建設されたポストモダン建築にもその波は及び始めている。旅行ついでにでもぜひ訪問してみたい、ポストモダン建築の現地リポートを、ほのぼのとしたイラストとともにお届けする。今回はバブル時代に生まれたポストモダン建築の代表作との評価もある「ホテル川久」。

水面の向こうにそびえ立つ偉容。その光景は、ファンタジー映画のワンシーンのようだ。民宿や飲食店が建ち並ぶ南紀白浜の温泉街を進んでいくと、日の光を浴びて黄金に輝く城が次第に迫ってくる。塀の中央にある門をくぐると、「いらっしゃいませ」と従業員が出迎えてくれた。

城に見えたのはホテル川久の建物である。この地でもともと営業していた旅館を建て替え、全客室がスイートの超高級リゾートホテルへと業務転換したものだ。

建物正面の車寄せ。瓦は中国製、入り口の壁は土佐漆喰による仕上げ
ベネチアンガラスの照明

設計を担当したのは永田・北野建築研究所。代表の永田祐三は、竹中工務店の設計部に勤めていたころから三基商事東京支店など、ゼネコンらしからぬ手のかかった建築を相次いで手がけた鬼才。このホテルの設計に当たっては、ルクソール神殿、ポタラ宮、紫禁城など世界の大建築から神託を受けたと永田は言う。西洋と東洋とが混在したような不思議な外観をまとっている。

さらに驚くべきは、内外装の尋常ではないこだわりぶりだ。外壁を覆う140万個の煉瓦(れんが)は英国のイブストック社製、瓦は中国製で、紫禁城で使われているのと同じもの。皇帝以外は使うことを許されなかったものを、特別に許可を得て使用したという。巨大なロビーの床は1枚ずつ手作業で埋め込まれたローマンモザイク、その上に架かるアーチ状の天井には金箔が貼られた。

ロビーの天井は金箔。柱は久住章が擬似大理石の手法で仕上げた

施工はこの規模の建物ではありえないことに、ゼネコンに請け負わせず直接発注で行っている。しかも、銅葺(ぶ)き、左官、木工、金工、焼き物などの様々な職人を世界から招き、その腕を振るわせたのだ。

結果としてこの建物には莫大な工事費がかかった。当初、180億円ほどだった予算が、300億円にまで膨らんだといわれている。

塔の上のウサギはバリー・フラナガンによる彫刻
東側のラウンジ。床はイタリアの職人がモザイクタイルを貼った

■バブル経済とともに

このホテルについては、バブルの時代に生まれたポストモダン建築の代表作といった評価がある。

バブル景気の引き金となったのは、1985年に先進5カ国がドル高是正を容認したいわゆるプラザ合意。ちょうどこの年に、ホテル川久の設計は始まっている。計画の進展に合わせて、日本経済のバブルはどんどん膨らんでいき、施工を開始した1989年の暮れには日経平均株価が3万8915円の最高値を付けた。

ソニーのコロンビア・ピクチャーズ、三菱地所のロックフェラーセンターなど、日本企業による米国の企業、資産の買収が騒がれたのもこの頃だ。当時はリゾートの振興が国策として進められていたことも追い風となった。

メーン・ダイニング&グリル
宴会場「サラ・チェリベルティ」。天井にはフレスコ画が描かれた

1991年、いよいよホテル川久が完成。会員制で、泊まれるのは一口2000万円ともされる入会金を払った者のみだった。建物の贅沢さからすれば、その額になるのも仕方がない。しかし、時代の潮目は変わっていた。日経平均株価は2万円を割ることもあり、東洋信金架空預金事件など金融スキャンダルの発覚が新聞を賑わせていた。バブルは既に破裂していたのだ。

リゾート会員券はもくろみ通りに売れず、1995年には402億円の負債を抱えて経営破綻。北海道を本拠に全国でホテル事業を行うカラカミ観光が買収することとなる。以後は1泊2万円台からという、少し手を伸ばせば泊まれるくらいの「普通の」高級ホテルに変わって、現在に至る。

客室はすべてスイートルームで、それぞれにデザインが異なる

バブルとともに生まれ、バブルの消滅と共に当初の夢も消えたホテル川久。バブル建築の代表であることは間違いない。しかし、果たしてポストモダン建築なのだろうか? ポストモダン建築とは、モダンの身体に様式の衣服を着せたものだ。過去の建築を表面的に装ったフェイクである。

ホテル川久は、遠目にはポストモダンと見分けが付かないかもしれないが、ここでの「過去」の導入はもはや表面的というレベルではない。本物の伝統工法を使っていることも含めて、身体ごと「過去」である。表層を装っていないという意味ではモダンに近い。

ポストモダン建築とバブル建築、その二つは重ねて見られがちだ。確かに、バブルだからこそ建てられたポストモダン建築も多いだろう。しかし、ホテル川久はバブル建築とは言えても、ポストモダン建築とは言えないのではないか。

■昔からあるフェイクの技法

しかし、ホテル川久の「過去」をよく調べてみると、また別の見方が浮かんでくる。例えば、ロビーの柱。これは大理石に見えるが、石膏を固めてから表面を研ぎ出してマーブル模様を浮かび上がらせた擬似大理石なのである。これはドイツを中心に昔からある工法で、18世紀の教会建築などでも見ることができる。淡路島の有名な左官、久住章がこの柱を仕上げるためにドイツで修行して身に着けたという。現代の建材には、木、石、煉瓦などを模した仕上げ材が氾濫しているが、そうしたフェイクの技術は伝統的にあったのだ。

はるか昔から建築は表層を装っていた。建築というのは、そもそもポストモダンだったのかも。ホテル川久のロビーにたたずんでいると、そんな仮説もわき上がってくるのである。

(ライター 磯達雄、イラスト 日経アーキテクチュア 宮沢洋)

[日経アーキテクチュア『ポストモダン建築巡礼』を基に再構成]

(参考)日経アーキテクチュア『ポストモダン建築巡礼』では、模索期の「千葉県立美術館」、隆盛期の「つくばセンタービル」、爛熟(らんじゅく)期の「ホテル川久」など、日本全国のポストモダン期の名建築50をイラスト入りでリポート。旅のお供にお薦めの一冊です。

ポストモダン建築巡礼

著者:磯 達雄、宮沢 洋
出版:日経BP社
価格:2,376円(税込み)

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