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若き女性起業家たち こだわりが力になる (キャリアの扉 special)

2016/1/9

自らのこだわりを形にしながら、新たな市場を切り開く若き女性起業家たちがいる。連載コラム「キャリアの扉」の特集版として、3人の足跡を追った。

(やまぐち・えりこ)大学卒業後、バングラデシュのBRAC大学大学院で修士号(開発学)を取得。2006年、マザーハウスを設立する。34歳。

■マザーハウス 山口絵理子社長

途上国から世界に通用するブランドをつくる。そんなスローガンを掲げて10年前に開店した「メイド・イン・バングラデシュ」のバッグ店は日本・香港・台湾で23店舗を展開、2014年9月期には約10億円を売り上げた。

学生時代、世界の貧困問題に関心を持ち、米州開発銀行(ワシントンDC)でインターンシップをした。ただ「ビルの中でデータを基に途上国支援を考えるのはしっくりこなかった」。大学を卒業し、22歳でアジアの最貧国といわれたバングラデシュに渡った。

日本の商社でアルバイトをしながら、夜間の大学院に通う。物を乞う人があふれる国で生活し、「途上国を豊かにするのは寄付や援助でない。現地に根ざしたビジネスだ」と思うようになった。

ある日、首都ダッカで黄麻(ジュート)の袋を目にした。縄や土のう袋として使う黄麻で高品質のバッグを作り、日本で売れないか。現地の工場で出会った職人には腕があった。優れた素材と人材で、試行錯誤しながらバッグの生産を始めた。

約160人まで社員が増えた現地法人では医療保障、給食、社員旅行といった福利厚生を取り入れ、一般的な職人の1.5倍程度の給与を払う。

客は「娘の大学の入学祝い」「就職活動の必勝祈願に」と話しながら黄麻や革製のバッグを買っていく。受け入れられることがやりがいになる。

「途上国の優れた面に光を」

ただ自らが世界を変えようなどとは思っていない。「貧しいとレッテルを貼られた国の優れた面に光を当てたいだけ」

ネパールでは絹、インドネシアでは宝飾品の生産を始めた。「80年ほどの人生は限られている。縁あった人のため、自分という資源をフルに活用する」。穏やかな語り口にのぞく静かな情熱は、新たな国での輝く素材と人材の発掘を目指す。

(なかざわ・ゆうこ)大学卒業後にカシオ計算機入社。携帯電話の企画に携わり、12年に退社。15年7月にUPQを設立した。31歳。

■UPQ 中沢優子社長

2015年7月、家電ベンチャー「UPQ(アップ・キュー)」(東京・千代田)をつくった。スマートフォン(スマホ)、大型ディスプレー、キーボードなど全ての商品を1人で企画、中国企業と交渉して生産する。

「携帯電話を作りたい」と、大学での就職活動は家電メーカーを受けた。中でもカシオ計算機は、携帯電話の商品企画を、若手に任せてもらえる。入社した。カメラ付き携帯電話の「美撮り」モードを提案。「ケータイ世代の若い女性が企画した」と評判を呼んだ。「決定権を与えられることが働きがいだった」

ところが、10年に携帯電話事業は事実上、撤退が決まり、他社に吸収される事になった。新体制では「何であんなに若い子が会議にいるの」「よくあれほどの上役に直接メールが送れるな」。心ない言葉がつらかった。退社した。

ビールや化粧品会社の商品開発に携わりながらカフェを開店し、経営のノウハウを学んだ。家電ベンチャーのセレボ(東京・千代田)の協力を得て、UPQをつくった。

販売する50インチの4Kディスプレーは「大画面で映画をみたい学生でも買える」7万5千円だ。SIMロックフリーのスマホを作ったのは「フリーの製品でかわいいと思うものがなかった」から。手ごろな価格とデザインが若者の支持を集める。

「スペック競争はいらない」

日本のものづくりを「ユーザーが求めていないスペック競争に陥っている」と考える。ブラウン管テレビの頃は調子が悪くなると、たたいて接続が悪いのを直したものだ。「機械は完璧でない。シンプルで、機能を求めない人は少なくない」

製品サポートはインターネットで受け付ける。大手メーカーとは違うユニークなものづくりを続けていく。

(みたらい・たまこ)マッキンゼー・アンド・カンパニーなどを経て12年6月気仙沼ニッティング創業、13年6月から現職。30歳。

■気仙沼ニッティング 御手洗瑞子社長

東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県気仙沼市に、20万円近い手編みセーターを抽選販売する企業がある。編むのは介護や育児などを抱え、外で働くのが難しい女性たちだ。気仙沼ニッティングは、彼女たちが空いた時間でこつこつ編んだ高付加価値のニットを世に送り出す。

震災が起きたときはブータンで産業育成の仕事をしていた。インターネットで流れる被害の映像を目にして無力感や歯がゆさを抱いた。「今は日本のために働くべきではないか」との考えが頭を離れなくなった。

1年間の任期を終え帰国すると、ブータン時代から親交のあったコピーライターの糸井重里さんに「気仙沼で編み物の会社をやらないか」と誘われた。漁網の修繕などを通じ手先が器用で編むことが身近な土地柄だ。地震による地盤沈下で工場を建てられない事情に加え、毛糸と編み針さえあれば始められることが決め手となり、気仙沼ニッティングをつくった。

「この地で誇りを持ち働く」

目標にしたのは、気仙沼で働く人が誇りを持てる仕事をつくり、地域に持続的に利益を還元する会社に育てることだ。

最初の商品はオーダーメードのカーディガンだった。着心地がよく、編んだときの柄がきれいに出るよう特注の糸を作り上げた。口コミで編み手を集めようとしたがうまくいかず、手袋を編むワークショップを開いて探すなど試行錯誤だった。

13年6月には法人化。編み手も増え、初年度から黒字を達成して気仙沼市に納税することができ、順調な船出となった。

約30人の編み手だけでは生産が追いつかないのが課題だ。今年から、これまで気仙沼に限定していた編み手の募集を車で1時間圏内の7~8市町村に広げる。「目指すのは未来の老舗。100年続く会社にしたい」。被災地の女性たちと編む夢はまだまだ続く。

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