自分とじっくり語って、モヤモヤした気持ちを一掃
神社にお参りに行く。これは生まれる前の自分に会いにいくことだという話を聞いたことがある。
鳥居をくぐって、参道を神殿に向かって歩いて行く。これは産道をさかのぼり、子宮の中へと戻っていく行為にあたる。玉砂利の音を聴き、葉むらに輝く陽光を感じながら、やがて神様の前へと立つ。それがすなわち生まれる前の自分と対面することだと言うのだ。
そもそも自分は、何の目的のためにこの世にいるのか。
そもそも自分は、過去に何をし、これからどう進んでいけばいいのか。
そんなことを生まれる前の自分と対面して考える。
その使命を果たすために、お力を貸してくださいと祈り、再び産道を戻り現世へと戻っていく。
だから神社の参拝は、「新しく生まれ変わる」ことを意味する。
これまでをチャラにして「新しいぞ、私は!」と再デビューするための装置が神社なのだ。
パワースポット巡りや御朱印ガールなどが流行する背景には、日々の生活の中で、「やりなおしたい」「生まれ変わりたい」と思う人が多いせいではないだろうか。神社に書き残された絵馬などを読むとき、ふとそんな気がしてくる。
「モヤモヤした気持ち」を抱えた女性たちにずいぶんとお会いしてきた。モヤモヤだけでなく、イライラ、カンカン、カリカリ、ツンツン、プリプリ、ピリピリ、プンプン、ムカムカ、ムッ、ヤキモキしている女性も数多くいた。
彼女たちは、戦ったり、逃げたり、我慢したりしながら置かれた現状を打破しようと試みていた。重油の中を、服を着たまま泳ぐような悪戦苦闘の末、生まれ変わった人もいた。破れてこれ以上プライドが傷つくのを恐れて、「さとり世代」のように戦いを放棄した人もいた。
色々な人にお会いして、結局、モヤモヤを晴らせた人には共通の特徴があるように思えた。
それは「自分と対話すること」である。
現状を嘆いたり、自己嫌悪に陥ることなく、肩の力を抜いて、鏡の前に立つ。
「おい、よしあき。そもそもお前は何がしたくて、今がんばっているんだっけ」と、鏡の中の自分を「生まれる前の自分の姿」に見立ててゆっくりと、リラックスしながら会話を楽しむ。
「おまえってさ。昔はクラス中を笑わせていたよな」
「あのコンサートに行ったのをきっかけに、この道に入りたいと思ったんだよな」
「いつかは世界中の美術館巡りをしたいって言ってたよな」
一番の親友と心置きなく話すように自分との会話を進めていく。
これを意識的にやった人もいれば、無意識の中でやった人もいた。親や友人に言われて気づいた人もいれば、歌のワンフレーズからスルスルと思い出した人もいた。様々な形態があったけれども、モヤモヤを晴らした人は、多かれ少なかれ、「自分との対話」を頻繁にした人ではないだろうか。
自分ととことん話しこむと、周囲の声はどうでもよくなる。「そもそもの自分」に対し、イライラさせる対人関係など、「どーでもいいこと」に思えてくる。
私はこの境地を「DDI(どーでもいい)」と言っているのだが、本来の自分に気づけば、嫌いな上司、複雑な人間関係、先の見えない将来などなどすべて「DDIだ」とレッテルを貼って気にしないようにする。
モヤモヤした気持ちを晴らす一番の近道は、「自分」と語ることだというのが結論だ。
朝の神社でもいい。空気の澄み渡る山道でもいい。時間がなければ近所の公園でもいいだろう。手鏡をもって、そこに映し出された自分の顔を見てみよう。そしてにっこりと笑顔をつくり、「やぁ、元気そうだな」と語りかけよう。
深呼吸し、背筋を伸ばして、歩きだせば、雲の割れめからあたたかい陽光がさしてくる。
頭上に広がった「モヤモヤが晴れた空」は、きっとあなたの未来まで続いているはずだ。
「モヤモヤが晴れた空」
モヤモヤした気持ちを晴らす一番の近道は、「自分」とじっくり語ること。
博報堂クリエイティブプロデューサー。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。クリエイティブ局で、CMプランナー、クリエイティブ・ディレクターを経て現職。明治大学で教鞭をとるかたわら、朝日小学生新聞にコラムを連載。年間約1000本のコラムをfacebookに投稿し、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。著書に、「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ言葉の玩具箱」(京都書房)。
[nikkei WOMAN Online 2015年12月14日付記事を再構成]
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