スタバ社員が挑む地方創生 志賀高原に個人でカフェ

2015/7/6

トラベルセレクション

かつてスキーヤーの聖地とも呼ばれ、多くの観光客でにぎわった志賀高原(長野県山ノ内町)。時に雲海を見下ろす標高2307メートルの横手山山頂で開業したカフェが地元の注目を集めている。看板商品は英国発祥の軽食「クランペット」で、その目新しさがウケている。仕掛け人はコーヒーチェーン、スターバックスコーヒージャパン(東京・品川)現役社員の巌真一宏(いわま・かずひろ)氏だ。地元のホテルやスキー場の経営者とも連携し、スタバからの支援は一切受けず全国ブランドに頼らない「雲の上からの地方創生」に挑む。

被災地でのプロジェクト主導

湯田中駅に電車が到着すると「美しの志賀高原」が流れる(5月、長野県山ノ内町)

北陸新幹線の延伸開業でにぎわう長野駅から志賀高原の玄関口、湯田中へは長野電鉄の特急で約45分。小田急電鉄から2006年に譲り受けた「ロマンスカー10000系」が現役で活躍している。終点の湯田中駅に着くと古賀政男作曲「美わし(うるわし)の志賀高原」のメロディーが旅行客を迎え、旅情をかきたてる。

湯田中駅から横手山スキー場へは車やバスでさらに30分。山頂まで動く歩道「スカイレーター」で登れば、4月から営業を始めた「志賀高原クランペットカフェ」がある。

クランペットは小麦粉をイースト菌で発酵させ、鉄板で焼いたマフィンやパンのような食べ物で、表面はかりっとしながらも中はもちもちした食感が特徴。蜂蜜やチーズなどをトッピングして食べる。オーストラリアやニュージーランドでも軽食の定番メニューとして親しまれている。

まだ国内ではクランペット専門店は珍しく、ここでは地元産の果物のジャムやハムを使ったクランペットのほか、地元で搾った牛乳を使用したカフェラテやコーヒー、地ビールなどのドリンクも提供している。千葉県市川市から訪れた会社員の女性(36)は「クランペットを食べるのは初めて。意外と分量もあり、しっかり食べられた」と顔をほころばす。

クランペットは好きな具材をトッピングできる

仕掛け人の巌真氏は慶応大学卒業後、三井物産に就職。その後、米アウトドア用品大手のパタゴニアやソフトバンクを経て13年前にスターバックスに転職した。スタバでは店舗開発などに携わる。2011年には東日本大震災後にキヤノンや松下政経塾などとスターバックスの移動式店舗で被災地にコーヒーを届ける「道のカフェ」プロジェクトを主導した経験も持つ。

巌真氏と志賀高原との出会いは三井物産時代にさかのぼる。海外製のスキー用具を担当していた巌真氏は、スキーの大会などで志賀高原をたびたび訪れ、国内屈指のパウダースノーにほれ込み、転職後も志賀高原でスキーを楽しむようになった。

クランペットはその場で鉄板で焼いて提供する

天候が良ければ眼下に八ケ岳や乗鞍岳、富士山を一望できるクランペットカフェ。実はこの場所で最初にカフェとした開業したのはスターバックスだった。13年12月に「雲の上のスタバ」として地元の要望に応え巌真氏が指揮をとり期間限定の店舗を出した。開店準備から地元テレビ局が放送するなど、地元では大きな反響を呼んだ一方で、スタバのブランドに頼りきった形での開業は「本当に志賀高原の活性化につながるのか」(巌真氏)という違和感も感じたという。

開業当初はあらかじめ決められていた営業期限の延期も考えたが、従業員のやりくりがつかず、結局「雲の上のスタバ」は冬の1シーズンだけで姿を消した。

くすぶっていた当初の違和感も手伝い「東京にあるような大手ブランドに頼っていては本当の意味での地方創生にならない」と確信。巌真氏はスタバ出店を支えた地元のホテル経営者らと話し合い、日本初の山頂のクランペットカフェ開業を決意した。材料や資材の購入には私財を投入。「会社は全く関係していない」(巌真氏)という。

「一歩踏み込んで取り組む」

クランペットカフェの棚やテーブルなどの資材は自費で調達した

冷蔵庫など調理用器具は地元ホテル経営者のつてを頼ってそろえ、土日や休日には巌真氏自らが従業員として客を迎えることもある。「自らお金を出してやらないと地元の人たちも本気になってついてきてくれない。コンサルのように口だけではなく、一歩踏み込んで取り組む姿勢を見せることが必要だ」と巌真氏は話す。

志賀高原を取り巻く状況は厳しい。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」の舞台にもなり、最盛期にはリフト乗り場にスキーヤーが行列をつくった。その後バブル崩壊や娯楽の多様化によりスキー人口は減少。長野県全体のスキー場利用客数は1992年度の2119万人をピークに昨季で704万人と3分の1まで落ち込む。

スターバックスの巌真一宏氏は地域の独自性が大切だと話す

志賀高原の玄関口、「湯田中渋温泉郷」(山之内町)の観光入込客数は13年で125万人と、10年間で2割以上減少した。地元のタクシー運転手、池田幸司さんが「昔は浴衣姿でげたを履いた観光客がぞろぞろと歩いていた」という温泉街も観光客はまばらで、シャッターを閉めた店が連なる。

地域の活性化をめざして開業したクランペットカフェ自体もまだ地域に浸透しているとは言えないのが現状だ。湯田中駅前のカフェで働くジョアン・レストレンジ・ウェストさんは「クランペットカフェで食べたことがあるがおいしかった」と本場の英国人も太鼓判を押すが「まだクランペットカフェを目当てに来たという人は聞いたことはない。夏になってお客さんが来れば情報も県外に発信されていくと思う」と話す。

志賀高原の玄関口、湯田中の温泉街は閑散としている(5月、長野県山ノ内町)

この志賀高原の活性化に向けた取り組みは長野県にとっても試金石だ。八十二銀行など長野県内に本店を置く全金融機関と、地域経済活性化支援機構(REVIC、東京・千代田)は3月に「ALL信州観光活性化ファンド」を設立し、モデル事業として山ノ内町の活性化に取り組んでいる。成功すれば、その成功体験が長野県内の他の地域にも広められる。

巌真氏は「オープンすれば簡単に採算がとれるという場所ではない。地域の魅力をどう発信していくかが重要だ」と難しさを認める。スタバが入居している長野駅の新駅ビルも「東京と同じようなリトルトーキョーでは意味がない」と手厳しい。「カフェの採算がとれれば地域の意識や環境も変わっていく。地方創生は地域のオリジナリティーが必要だ。地域発でなければ本当の意味での地方創生ではない」。首都圏にはない価値をどう打ち出せるか。スキーシーズンを終えた志賀高原は、正念場の夏を迎える。

(長野支局 逸見純也)