ホウの静かなる活劇 暴力と希望描くオディアール
カンヌ映画祭リポート(7)
こんな武侠映画は見たことがない。こんなアクション映画は記憶にない。コンペティション部門で21日に公式上映されたホウ・シャオシェン監督「黒衣の刺客」には心底、びっくりした。
静かで寡黙な活劇「黒衣の刺客」
「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」以来、実に8年ぶりの新作である。日本で撮影を準備している、撮影に入った、という話は何年も前から聞いていたが、とうとうできあがった。
女性の道士によって暗殺者として育てられた聶隠娘(スー・チー)の物語である。女性道士は隠娘に節度使・田李安(チャン・チェン)の暗殺を命じる。李安は隠娘のかつての婚約者。隠娘は李安を追い詰めながら、討ち取らない。わざと証拠品を残し、誰に命が狙われているかを知らせる。
隠娘は李安に左遷された朝廷派の人物を守る任務中、鏡磨きの日本人青年(妻夫木聡)に助けられる。青年は遣唐使船が難破し、新羅経由で日本に戻ろうと北に向かっていた。隠娘の戦いは続く。すご腕の刺客との戦い、李安の正妻の陰謀との戦い、密命を下した女性道士との戦い……。
武侠映画だから戦いの連続なのだが、画面はことのほか静かだ。木立が風に揺れ、鳥がさえずる。水面は鏡のように静まり、霧が山を包む。
林の中で斬り合う時も、カメラは引いたままで木々を揺らす風をとらえる。なぜ殺すのか、なぜ殺さないのか。セリフはほとんどない。
室内のシーンも同じだ。カーテンがひるがえり、ろうそくの炎が揺れる。いつでも、どこでも風が吹いている。夜はただ虫の声だけが響く。
こんなに静かで、寡黙な活劇は見たことがない。対決も一瞬にして決着がつく。そして再び、静けさが世界を支配する。
いったいこの慎み深さはどこから来るのだろう?
心ならずも暗殺という任務を与えられたヒロイン。その心の揺れがこの映画の中心にあることは間違いない。ホウはそんな葛藤をこれみよがしに説明することはしない。ただ一瞬の一太刀と、それを包みこむ永遠の静けさですべてを描ききろうとする。
ちょっとできないことである。おそらくホウにしかできないことだろう。そしてそこにホウ・シャオシェン映画の神髄があるに違いない。
ワイヤアクションを駆使した超人的でスピーディーな香港のアクション映画とはまるで違う。ホウは「特に日本のリアリスティックなサムライ映画、チャンバラ映画に学んだ」と語った。「子供の頃から見ていた。題名はあまり覚えていない。すごくたくさん台湾に入ってきたから」。三日月童子、八犬伝、宮本武蔵、座頭市……。挙げだしたらキリがなくなった。日本の歴史小説も読んでいて「藤沢周平が好き」という。
妻夫木はホウの演出について「僕の人間性を見て、役に反映し、深みを出してくれた。新鮮で刺激的な現場だった」と振り返った。ホウも「僕はこうしなさいと言わないタイプ。妻夫木さんは自分で役を生きてくれた。日本人青年の思いをうまく感じてくれた」と語った。
妻夫木の回想シーンを日本で撮影したが、この日カンヌで上映した版では切ってしまった。ホウはこの日「日本では戻したいな」と話したが、秋に日本で公開する版に入るかどうかは未定だ。
パリでのタミル難民の生活を描く「ディーバン」
この日のコンペティション部門には「預言者」「君と歩く世界」で知られるフランスのジャック・オディアール監督も登場した。新作「ディーパン」は、内戦下のスリランカから逃れてきたタミル人難民のパリ郊外での生きざまを描く力作だ。
スリランカ内戦下の「ノー・ファイアー・ゾーン(発砲禁止区域)」。タミル人兵士として政府軍と戦ったディーパンは、この難民キャンプで若い女ヤリニ、9歳の少女イッラヤールと出会う。3人は赤の他人だが、難民申請するには家族がいた方が有利なのだ。パスポートを偽造し、家族になりすまし、フランスに入国する。
3人がたどり着いたのはパリ郊外の低所得者向け集合住宅。ディーパンはここで管理人の職を得た。立ち並ぶ住宅のうちA棟からC棟までが持ち場。D棟からF棟までは薬物売買をするヤクザ者たちが取り仕切る無法地帯だ。イッラヤールは学校に通い、ヤリニはD棟に住む老人に食事の世話をするアルバイトを始める。
異国での暮らしは多難だ。イッラヤールは学校で仲間はずれにされる。ヤリニが世話する老人の家のリビングには粗暴なヤクザ者が出入りしている。ディーパンはパリに逃れた反政府組織の仲間から武器を買うから金を入れろと要求される。
D棟でヤクザ者たちの銃撃戦が始まる。暴力におびえるヤリニは独りでパリから逃げだそうとするが、ディーパンに止められる。ディーパンはC棟とD棟の間に石灰で線を引き「発砲禁止区域」を宣言する。
内戦で家族を失った3人の難民が、逃げ延びてきたフランスで再び暴力にさらされる。逃げるために家族になりすました3人が、生きるために本当の家族になっていく。オディアールは一切の無駄がないドライな語り口で、世界に満ちる暴力とその先にある希望を描き出した。
破天荒なエネルギーがみなぎる「極道大戦争」
監督週間では21日夜、三池崇史監督「極道大戦争」が上映された。新作を撮影中の三池はカンヌに来られなかった。舞台挨拶には凶悪な敵役を演じたインドネシアのアクション俳優、ヤヤン・ルヒアンが登場。「ザ・レイド」に続き「スター・ウォーズ」シリーズの新作にも出演する武術家は、舞台で正装のままアクションを披露した。
さらに本編の前のサプライズ映像で、和傘と着物で女装した三池監督が現れた。
「私、今年の初めから富士山のふもとで芸者を始めまして、いろいろいそがしくやっておりますので、おうかがいすることができません。いよいよ来週は、シリコンを入れる予定です。そうなりますと『極道大戦争』のような乱暴な映画はとれなくなりますので、これからは『愛』と『友情』を中心に描いていく映画監督になる、そう思っております」
と、人を食ったあいさつをして、満場の観客から大歓声。ノリノリの雰囲気で上映が始まった。
昔気質のヤクザ神浦(リリー・フランキー)は撃たれても刺されても死なないタフガイ。影山(市原隼人)は神浦にあこがれてヤクザになった。そんな神浦が狂犬(ヤヤン・ルヒアン)に倒され、いまわの際に影山の首にかみつく。「わが血を継いで、ヤクザ・ヴァンパイアの道をゆけ」と。
堅気の血を吸って、超人的な力を発揮するヤクザ・ヴァンパイア。影山は街中をヤクザ・ヴァンパイアにしながら、狂犬たちと対決する。
荒唐無稽な話だが、まさに三池崇史の世界。話はむちゃくちゃでも、すべてのショットが見事に決まっている。ヤクザ映画の様式美を踏まえ、役者の偽りのない身ぶりを引き出し、その視覚的な力だけで、見る者を映画の世界に引きずり込む。三池初期のビデオ向け映画を思わせる破天荒なエネルギーがみなぎっている。
「一命」「藁の盾」と"まじめ"な作品でカンヌのコンペに出た三池だが、アウトローぶりは健在。観客は敏感に笑い、反応は上々だった。
コンペの上映も残り少なくなった。業界誌の星取表ではトッド・ヘインズ監督「キャロル」、ナンニ・モレッティ監督「マイ・マザー」、ステファヌ・ブリゼ監督「市場の法則」の評価が高い。ジャ・ジャンクー監督「山河故人」、パオロ・ソレンティーノ監督「ユース」、ラズロ・ネメシュ監督「ソールの息子」は評価が割れている。最高賞のパルムドールは24日夜(日本時間25日未明)に発表される。
(編集委員 古賀重樹)
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