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小林照子 「仕事を辞めろ」の夫が180度変わった

2015/5/28

日経DUAL

働くママ&パパに“効く”言葉や発想を人生の大先輩から伝授してもらう「先輩デュアラーの魔法の言葉」シリーズ。メークアップの第一人者として日本の美容をリードしてきた小林照子さんにお話を伺います。
小林さんは23歳でコーセーに入社、取締役まで務めた後56歳で円満退社。その直前に、美容家として活躍する一人娘のひろ美さんと共に「美・ファイン研究所」を設立します。80歳にしてなお、敏腕ビジネスパーソンでもあります。産後も働きつづけることなどほとんどない時代に、先駆者としてどんな心意気で駆け抜けたのでしょうか。

■夢を捨てて子どもや夫のせいにしないために

羽生祥子 日経DUAL編集長 今から50年以上も前の日本で、「働くママ」として生き抜いてきた小林さんは、尊敬すべき先駆的存在です。子育て環境もメンタリティーも大きく違う現在ですが、同じ母親同士として、子育て真っ最中の世代にアドバイスを頂けませんか。

小林照子さん(以下、敬称略) 子育ての渦中にある人は、「この大変さが永遠に続く」と思ってしまいがちかもしれませんね。でも、大変な時期には必ず終わりがある。子ども達は、いつかは親から他のものへと関心を移していく。それが成長というものです。そうなっていく前に母親を強く求める時期もありますが、それは成長の過程であって、ずっと続くわけではないのです。

それに気が付かずに親が自分の夢を捨ててしまうと、後になって後悔することになります。「あなたが家にいてほしいというから、お母さんは夢を諦めたのよ」と子どもに言い、「あなたが両立は無理だというから、仕事を辞めたのに」と夫に言うことになる。辞めた後になって、「仕事ってこんなにすてきだった。楽しかった」って実感したとしても、かつてのポジションには戻れないでしょ? だから、仕事は簡単に手放しちゃいけない。

どうしても仕事のパイプを細くしなくてはいけない時期はあるけれど、とにかく「自分」というものをおなかに持ち続けていることが大事です。夢や目標を実現するには、自己責任の覚悟を持つことが必要だから。

メークアップアーティスト・小林照子さん

■完璧を追求せず、自分なりの判断基準を持つといい

小林 では、「どうやって仕事と育児を両立するか?」。それは、自分なりの基準を持てばいいのではないかしら。私の場合、極端にいえば、「死ぬか死なないか」、それを判断基準にしていました。部屋が散らかっていても、死なない。洗濯物を干してなくても、死なない。でもごはんを食べさせないと… いけない、死んじゃうわ。だから食べさせなくちゃ……! 本当に忙しいとき、働くママが大変なときは、それくらい極端な判断基準でもいいかと思います。

いつもは仕事に力を注いでいても、今これをしないと命に関わるというときは、何が何でも育児を優先する。

私と同世代の女性には、自分を犠牲にした人がいっぱいいるんですよ。仕事を諦めた人もいれば、仕事でも家庭でも完璧にやろうとして無理がたたったのか、夫と3人の子どもを残して命を落としてしまった人もいる。

そんなこともあり、私自身は「やらなくても死なない」ことは徹底して外していきました。全自動洗濯機、電子レンジなど、家事を合理化してくれる家電にも、出費を惜しみませんでした。

■理想の保育園に入れるために家を売って引っ越し

―― 今みたいにワーキングマザーのための制度や施設も整っていないなか、日中の育児はどうなさっていたのですか。

小林 赤ちゃんのころは、個人のベビーシッターさんにお願いしていました。2~3歳になると保育園に入れました。片っ端から区役所に電話して条件の合う園を探していたとき、「働く女性に非常に理解のある園が世田谷区にある」という話を同僚から聞きました。そこで、娘を入園させるため、郊外に持っていた家を売って下北沢に引っ越しました。

出産以来、「仕事を辞めろコール」を出し続けていた夫は、「引っ越しをしてまで働こうなんて、どうかしている」とあきれ返っていましたね。夫が働く理由は、「食べるため。給料のため」であって、そうではない価値観を分かってくれなかったんですよ。男性が育児に参加するという意識もほとんど無い時代でした。とにかく大変ではありましたが、どんな大変な子育ても、いつかは山を越すんですよ。

■中学に入れば娘も「自由」の良さに気づく

―― 渦中にいると「早く穏やかな生活をしたい。いっそのこと、もう、辞めちゃおうか…」と思うことも多々あります。小林さんは山を越したなと実感できたのはいつごろでしょうか?

小林 一人娘のひろ美が10歳になるくらいかな。一番最初に、「あ、そうか。子どもは親から離れていくんだ」と気づいたの。親以外の人や事柄に興味を持つようになった。それがだんだん強まっていき、中学校へ入ったらなおさらです。

小学校の低学年のうちは娘も、お母さんが家にいる友達が羨ましくって仕方がないわけ。「○○ちゃんのおうちではね、学校から帰ったら、お母さんが『おかえり』って言ってくれるんだって」「手作りのおやつだって出してくれるんだよ」という具合にね。

でも中学生になると、友達は自分の母親をうるさがって、「ひろ美ちゃんのママはおうちにいなくていいわね」と言われるようになる。私は時間やら宿題やらうるさく言ったことはない。まあ、野放しです(笑)。それを「私は自由なんだ」と娘は気づいたみたい。だから「ママ、お仕事を辞めて」と頼んできたのは、小学校まで。その後は、むしろ「自由だからいいや」と思っていたようです。

よく学校の先生などに、「ひろ美ちゃんが素直に育って、本当によかったですね。感謝しなくちゃいけない」と言われたものです。私に対するお説教ですね(笑)。ひろ美にその話をしたら、「不良になろうと思ったらいつでもなれると思っていたよ。だから今じゃなくてもいいやって思ってた」ですって(笑)。

■毎日娘には手紙を書いていた

―― 子どもに対してあまり時間を割けないことに、罪悪感を持つことはありませんでしたか?

小林 子どもと過ごす時間は「量より質」と考えていました。十分な時間をかけられないからといって、卑屈になる必要はありません。

とは言っても、罪悪感のようなものは少なからずあるから、必ず手紙を書いていました。ひろ美が園や学校から帰ってきたら読めるように机の上に置いておくのです。「おかえりー。おやつはここにあるよ」とかそういった類いのものです。イラストを入れたり工夫して毎日書いているから、それを見て娘も安心するんでしょうね。「私のことを気に掛けてくれている」って。

手紙を見ておやつかなんかちょっと食べて、遊びに行く。みんな塾だ塾だと言っているときに、彼女は自由に遊んでいました。友達が通う塾というものに一度行ってみたいと言うので、「塾に行ってらっしゃい。ママは○時に帰ります」という手紙とお金を置いておいたことがありました。でも帰宅したら、家にひろ美がいる。「塾は?」と尋ねたら、「あのね、塾って勉強する所だったの」ですって(笑)。

ともかく手紙は、娘が小学校を卒業するまで、ずっと続けていました。娘も楽しみにしてくれていましたよ。

■人には必ずいいところがある、と教えてきた

―― そうやって育ったひろ美さんも、お子さんを育てながら仕事をなさっていますよね。働く母親として娘に伝えたいことはありましたか。

小林 真摯に働く母の後ろ姿を見せることで、ある種の尊敬の念を抱いてくれたのかなと思います。母親が、どんなに具合が悪くてもはってでも仕事に行く姿を間近で見て、「自分にはできないけれど、すごいな」と感じでいたようです。「親の言うようにはならないけど、親のするようになる」というのはその通りだと思います。親が言ったからって子どもがやるとは限らない。子どもには子どもなりの「芯」があって、一方的な押し付けに対して、反発する心が生まれますから。

色々な人の手を借りてひろ美を育てました。一人ひとり違う価値観で接するから、娘も小さいなりに自分で判断するようになる。自分が正しいと信じる「芯」を持っていましたね。

―― これだけは守ってほしい、という娘に対する希望はありましたか?

小林 ただ一つ厳しく言っていたのは「言いつけなし」ということ。娘が人の悪口を言ってきたら、「何かその子のいいところはないの?」と尋ねていました。

人には必ずいいところがあって、それを見つけましょうという教育はしました。プラスの視点を持つことが、幸せな人生の基盤だと考えていましたから。私のほうも、子どもがどんなに小さくても、ネガティブな言葉は使わないように心がけていました。

■娘が頼もしいビジネスのパートナーに

―― 1991年、ひろ美さんと共に「美・ファイン研究所」(東京都渋谷区)を設立されていますね。母娘で一つのプロジェクトに取り組めるというのは、とても幸せなことのように感じます。

小林 私がコーセーの役員を辞めて、娘と一緒に始めたのが美・ファイン研究所です。ひろ美は私の姿を見て育ち、メークアップアーティストが大変なのは知っていたから、「絶対にならないぞ」と強く思っていたそうです。その一方で、メークアップの周辺には興味があって、スキンケアやフレグランス、ファッションとかが、大好きだった。そうした志向が時代とも一致して、うまくいきましたね。

美・ファイン研究所では、メークを通して心も身体もハッピーにするというコンセプトの「ハッピーメイク」を提唱しています。この言葉に即座に反応してきた層がありました。今、更年期を迎えていたり、子どもを育て上げたりした世代の女性達ですね。夫や子どものために仕事を辞めてしまった人ばかり。子育てが終わって、自分の存在理由が分からなくなってしまう。そこで美容に救いを求めてくるのです。ハッピーメイクと出合い、幸せを取り戻していくわけですが、彼女達を見て、夢や目標があるなら、やっぱり仕事は続けたほうがいいと実感しましたね。

コーセー時代も商品開発に携わってきましたが、そうした経験から得た理論を生かした商品を作ろうと思い立ちました。ひろ美は化粧品で遊んで育ったようなものですから、私以上に化粧品が好きで、とても頼もしいパートナーとなりました。そのなかからヒット商品も生まれましたね。

先日、ショップチャンネルに出演し私たちのメーク用品を販売した際は、24時間で1億9500万円ほど売り上げました。その日一日のために作った限定商品を24時間以内に売り切る、というテレビショッピングの企画です。ライブで計4時間くらい出演して、実演をします。

美・ファイン研究所で、自ら開発した化粧品について、海外留学生に説明する小林さん

■母親、組織の次に“第3の価値観”をジワジワと植え付ける

―― 最後にお聞きしたいのは、働くママにとって時に支えになったり、時に火種になったりする夫についてです。どうしたらいいのでしょう?(笑)

小林 どんなに頑固な夫でも、10 年間あればその思想を180度転換してもらうことができます(笑)。逆に言えば、10年はかかりますけどね。

男性は、まず母親からその時代の価値観を教えられ、次に社会から男性がつくり上げた組織の中で一つの役を演じるよう教育されてきました。親の価値観、組織の価値観を素直に受け入れてきた人間であるわけですよ。

だから次に、“第3の教育”を施すのです。初めこそ反発するかもしれない。でも興味を持ったり、好奇心さえあれば、「なるほど」と納得する。そのうち、だんだんと耳を傾けるようになり、やがて自身の価値観としていく。“第3の価値観”をじわじわと植え付けていけば、10年くらいで、気が付くと180度変わっています。

「だから仕事を辞めろと言ったんだ」「子どもがかわいそうじゃないか」と二言目には口にしていた私の夫でも変わったのだから、変えられると思っています。若い世代の人にも「大丈夫よ。だんだんに変わるから」といつも言っています。

それに、そもそも経済力のある妻を持つほうが、男性は外で格好をつけられます。自分一人でかなり稼いでいるかのような顔ができるから(笑)。女性は「実は私が稼いでいるのよ」と、外でわざわざ言わないですからね。

■「仕事は辞めないほうがいいぞ」と言うようになった夫

―― 働く妻を持つ夫は、外ではいい思いをしているということなんですね(笑)。夫が変わるまでの10年の間は、衝突を繰り返すのですか? それとも、ぶつからないでうまく変える方法があるのですか?

小林 ぶつかるときもあれば、こちらがひとまず諦めたり、受け流したりすることもありますよね。子どもが熱を出すなど、2つや3つ苦労が重なっても、夫からは「だから仕事を辞めろと言っただろ」といういつものセリフを繰り返されるだけでした。そういうときは、いちいち腹なんて立てない。もう無視するの。「この人は透明人間だ」って。どうせ対応するのは私だし、やればいいのだから。

でもまあ、そうこうしているうちに、だんだんと妻が働いているほうが、自分もラクだということに夫自身が気づくのです。例えば夫が仕事を転々と変わったとしても「そのうち、あなたにぴったりの仕事が見つかるわよ」ぐらい妻が大きく構えてくれるわけだから、それは夫としてはありがたい存在よ。

―― 10年のうちに、自然と変わっていくんですね。

小林 そうそう、自然と。先ほども言いました通り、男性は母親と社会の教えをすんなりと受け止めてきた。もともと、素直なんですよ。だから“第3の教育”もできるのです。

私の会社の若いスタッフが家に遊びに来て、「会社を辞めようと思うんです」とか、「結婚相手が仕事を辞めろって言うんです」という話をすると、今は私の夫がニコニコしゃしゃり出てきてね、説教するんですよ。「仕事は辞めないほうがいいぞ」って。ね、夫婦は長い目でみるのが一番なのよ。

小林照子
1935年東京都生まれ。1958年、小林コーセー(現コーセー)に入社。美容指導員を経て、美容研究や商品開発、教育など幅広く担当し、1985年には同社初の女性取締役に就任。1991年にコーセー取締役・総合美容研究所所長を退任後、独立。人の外見的な魅力(美)と心の輝き(ファイン)をテーマとした研究・創造を追求する「美・ファイン研究所」を設立し、所長に就任。美容研究家としてビューティー・コンサルタントビジネスを展開しながら、現役のメークアップアーティストとしても活躍。一方、1994年に「[フロムハンド]メイクアップアカデミー」、2010年に「青山ビューティ学院高等部」を開校し、校長として後進の育成に当たる。さらに死化粧の理解を深めるエンゼルメイク研究会の副会長、メークアップを軸に社会貢献を目指すジャパン・メイクアップ・アーティスト・ネットワーク(JMAN)理事を務めるなど、多岐にわたり精力的に活動。 27歳で5歳年上の男性と結婚し、29歳で長女を出産。 著書に『人を美しくする魔法』(マキノ出版)、『小林照子のメイクの力』(PHP研究所)、『死に逝くひとへの化粧』(太郎次郎社エディタス)などがある。

(ライター 井伊あかり、撮影 蔵真墨、編集協力 Integra Software Services)

[日経DUAL 2015年4月22日付の記事を基に再構成]

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