JR小樽駅から港へ向かい、運河の手前を左に曲がるとすぐ、ヨーロッパ風の建物が現れる。洋菓子店「ル・キャトリエム」だ。オーナーシェフの漆谷寿昭さんが東京やフランスでの修業を経て2009年に小樽で開業した。店内はフランス語のラジオ放送が流れ、2階では運河を眺めながらスイーツや本格ランチが楽しめる。
赤色鮮やかな人気商品「ルージュ」(370円)を早速ひと口。ラズベリーのみずみずしいジュレの酸味が口に広がり、イチゴを合わせた甘酸っぱいムースが優しく重なる。スプーンを入れると白い蜂蜜のババロアが現れ、ふわっととろける。3口目は奥から出てきたブルーベリーとラズベリーのジャムがほどよいアクセント。「甘さを抑え、素材に限りなく近づけた軽めのデザート」を追求する漆谷さんのこだわりが凝縮された繊細な一品だ。
竹鶴政孝氏の夫人、リタさんの直筆レシピを再現した「愛のプディング」(400円)もある。リンゴのシロップ煮やウイスキーの隠し味で口当たりはしっとりと、深みのある味わいが広がる。英国の伝統焼き菓子に現代風のアレンジを加え、当時のように9時間かけてじっくり焼き上げた。小樽商科大学の学生チームが観光振興につなげたいと発案し、「地域を盛り上げたい」と漆谷さんが引き受けた。
スコットランドでウイスキーの製法を学んでいた政孝氏は1919年(大正8年)、クリスマスパーティーで切り分けられたプディングケーキから6ペンス銀貨を発見。結婚する運命にあるという言い伝えのある指ぬきが入っていたリタさんと結ばれた。幸せにあふれた甘いエピソードはドラマでも描かれており、スイーツの思い出をより濃厚にしてくれる。
漆谷さんの曽祖父はこの年、国際的な商業港だった小樽で、北海道で初とされるアイスクリームの製造販売を始めていた。実家の美園アイスクリーム本舗は今もジェラートのように低脂肪で素朴な味わいを引き継ぐ。竹鶴夫妻の足跡を調査した同大学ビジネス創造センターの高野宏康学術研究員は「2人が美園のアイスを食べていた可能性は非常に高い」と話しており、歴史を紡ぐ。
竹鶴夫妻は、ウイスキーの蒸留所を構えた余市から小樽へ仕事や買い物で頻繁にやって来ていた。なかでもふたりのお気に入りは1928年(昭和3年)創業の洋菓子店「米華堂」。昭和初期から歓楽街として発展した花園銀座商店街にある。「『入り浸っていた』というくらい来ていたみたいですよ」(3代目店主でパティシエの八木浩司さん)。スーツを仕立てる政孝氏を待つ間にリタさんが休憩したり、お土産に買ったりしていた。
いまも当時のレシピが受け継がれている「アップルパイ」(240円)を注文すると、店主の妻・明美さんが運んできてくれた。きれいなキツネ色に焼かれ、余市産のリンゴがぎっしり詰まっている。一口ほお張るとしっとりしたパイ生地からリンゴの甘みがじゅわっと広がる。表面に塗られたアプリコットジャムの香りがアクセントだ。
店で出す洋菓子は全て、神戸で洋菓子作りの腕を磨いた店主の手作りだ。米華堂の初代からのレシピを受け継ぎながら、時代に合わせて甘さを控えめにするなど工夫を加える。売り切れる量を少しずつ、ほぼ一日中作り続ける。常連客にはエクレア(180円)やシュークリーム(140円)も人気だ。
竹鶴夫妻が通った名店のもう一つが洋菓子店「あまとう」だ。1929年(昭和4年)創業。甘い物がぜいたく品だった時代から「甘くって申し訳ございません」という街頭放送と共に地元民に愛されてきた。
定番は「クリームぜんざい」。卵を使わない生クリームたっぷりのソフトクリームがこだわりだ。くるくると形良く巻かれたソフトクリームに、十勝産小豆のあんこと秋田産の米粉を使用した求肥もちが乗っている。サイズはMとSの2種類がある。
せっかくなのでとMサイズ(580円)を注文した。運ばれてきたクリームぜんざいを手に持つと、ずしりと重い。「コーンフレークでかさ増しはしないよ」と店主の柴田明さん。どちらのサイズを選ぶかで地元民か観光客かが分かる。「地元のお客さんは9割以上がMサイズ。みんな小さい頃から食べていて、この食べ応えがないと物足りなくなるんだよ」
竹鶴夫妻が何を食べていたのかは今となってははっきりしない。「おそらくソフトクリームを使ったどれかの商品だと思うんだけれど」。謎めいたところもまた、甘党の心をくすぐる。
ガラス工房や飲食店、土産物店が立ち並ぶレトロな堺町通りを南に歩くと、五差路の手前に大きな塔のある洋館が目に入る。1998年にオープンし、伝統的なスイーツの街に新風を吹き込んだ「小樽洋菓子舗ルタオ本店」だ。2階のカフェに上がると、窓からは欧州の街角のような観光名所、メルヘン交差点を一望できる。
1番人気の「生ドゥーブルフロマージュ」(ドリンクとセットで864円、単品は432円)はベークドチーズケーキの上にマスカルポーネチーズのムースを重ねた2層のケーキ。1口すくうとふわりと軽く、甘いミルクの風味が口いっぱいに溶け出す。2口目でベークドチーズのまろやかで濃厚なコクを堪能する。
2005年にテレビ番組で紹介され、通信販売などで全国でも有名だが、冷凍品でなく生のタイプを食べられるのは小樽の店内だけ。この4月からはマスカルポーネチーズの発祥の地、北イタリアのロンバルディア州にあるアンブロージ社の乳脂肪分が高く生クリームのように風味豊かなチーズを取り入れ、一段と滑らかになった。「本格的なバージョンアップは今回が初めてです」。近くにある同社最大店舗、「ルタオパトス」の葛西純樹店長に教えてもらい、満足感がさらに高まった。
(札幌支社 石橋茉莉、染谷好信)