夫のモラハラ…40歳主婦が離婚して見つけた自分らしさ
巣作りに集中した20代、お受験ママの30代
「子どもの頃から不仲の両親を見ていたせいか、20代前半は結婚に夢は持たず、恋愛重視でした。でも、子どもは欲しかったので、どんな相手と結婚しても、自分と子どもは養っていけるだけの力はつけたいと思っていました」
OLでは、しっかり稼ぐのは難しそう。そう思ったマユミさんは、大学を卒業後、非常勤講師として高校で社会科を教えることに。しかし、理想とのギャップを感じ、一年で一般企業に転職。総合職として、厳しく育てられました。
「私がいた業界も、日本経済も元気な時代だったので、楽しかったですね。仕事を通じて華やかな世界を見せてもらいましたし」
26歳で結婚し、翌年出産。育休明けに仕事に復帰する予定でしたが、我が子の可愛いさに、退社する道を選びました。その後、第二子を出産。
「毎朝コーヒーメーカーでコーヒーを淹れて、お気に入りの食器を少しずつ買い揃えたり。20代後半は、まさに巣作りの時代でしたね。でも、30歳になる前、ふと周りを見ると、OLの友人が昇進したり、留学したりと活躍していて。私の人生、これでよかったのかな、と焦る気持ちもありました」
それでも30代は、お受験ママとしてさらに忙しい生活が待っていました。
「渦の中に巻き込まれているような、そんな日々でした。二人が私の母校に無事に合格すると、保護者として学校に通い、ボランティアをする日々。でも、楽しかったですね」
夫からの言葉の暴力を受け、カウンセリングへ
子育てママとして忙しく過ごしていた39歳のある日、ふとしたことから夫と大げんかに。激高した夫は唐突に「付き合っている女性がいる」と宣言し、家を飛び出して行きました。マユミさんは何とか話し合おうとしたものの、離婚を望む夫からの、妻の人格を否定するような言葉の暴力に追いつめられていきます。
「40歳目前の自分はもうおばさんだという自覚もありました。だからこそ、一生一緒にいると思っていた相手からの言葉の数々に、女性としての自分を全否定されたように感じましたね。でも、後から考えると、もっと前からお互いの心は離れていて、あの大げんかは決定打だったんだなと。悩んでいた時、友人に『マユミは父と母がいて、その周りを子どもが駆け回ってる……みたいな家族の形にこだわるよね』と指摘され、ハッとしたんです。不仲の両親を見てきた私は無意識に『夫婦は仲良くしなければ』と思い込み、それまで夫とけんかすることもなかったなと」
まずは自分を立て直さなければ。そう思ったマユミさんは、自分に合いそうな心理カウンセラーを探し出し、カウンセリングを受けることにしました。
「カウンセリングを受けるうちに、私は子どもの頃からずっと、家族の歯車を回すために自分の感情を犠牲にしてきた、ということに気付きました。子どもの頃は親が『こうあってほしい』という人生を歩み、大人になってからは自分の主語を持たずに生活していたんだなと。すると、カウンセラーの先生が、『これからはあなたの好きなものをコレクションしましょう』と言って下さったんです」
でも、長年自分を押し殺してきたため、なかなか自分の好きなものがわからなかったそう。
「シャープなブルーの服が好き。でも、ナチュラルなピンクの服も好き。いったいどれが本当の私なんだろう、って。でも、どれも私なんですよね。自分を型にはめようとしていたのは、実は私だったんだと気付きました。それまでは、シャープなブルーの服を好むのが本当の自分だと決めつけていました。ナチュラルなピンクの服を着る自分を切り捨てていたんですね。でも、両方とも自分なんだと受け入れた時、世界がわっと広がったように感じたんです」
カウンセリングで少しずつ取り戻していった自己肯定感。追いつめられていたマユミさんにとって、カウンセリングは安全地帯になっていきました。
「でも、相変わらず夫からは、私を洗脳するかのようなモラハラ発言のくり返し。カウンセリングに通っていることを知られたら、また何を言われるかわからない。だから、夫には絶対に知られたくない。そう先生に話したら『よく自分を守れましたね』と言われ、涙が出ました。肩の力を抜いて生きるとはどういうことか、やっとわかるようになりました」
両親や夫など、相手が求めるものを無意識のうちにキャッチして演じるクセを手放すと、自分の気持ちを優先できるようになったそう。そして、40歳で離婚をしました。
カウンセリングで自分を作り、やりたいことを見つけた
「ある時期まで、『家族のためには、私さえ我慢すればいい』と思っていました。でも、夫に殴られた私を娘が身体を張ってかばってくれたことをカウンセリングで話した時、先生に言われたんです。『経済的にも肉体的にも弱い女性を守るのは夫の役目。それを娘さんがしようとしていますね』と。親の恋愛観や結婚観は子どもに連鎖すると知り、このままでは娘も『私さえ我慢すればいい』という家庭を作ってしまう。それを防ぐためにも、離婚を選ぶことにしたんです」
今では娘たちに「パパと会っておいで」と心から言えるようになったというマユミさん。元夫も、養育費などの面で子どもを守ってくれているそう。
「結婚していた14年間は、楽しく家族を作ることができました。元夫は、その14年間のパートナーであって、そこから先は違ったんでしょうね。今となっては、いい離婚ができたと思います。それも、カウンセリングのお陰ですね。私の場合、カウンセリングで自分を取り戻したというより、『自分を作った』という感じがします」
離婚を経て、憑き物が落ちたように身も心もスッキリしたマユミさん。その頃から、ある変化が起こったそうです。
「子どもの学校のママ友などから、夫婦関係や子どもの悩みといった相談をされることが増えたんです。どんなに幸せそうに見えても、悩みのない人なんていないんだな、と改めて感じましたね。相談にきてくれる人の話をもっときちんと聞けるようになりたいと思い、心理カウンセラーの勉強を始めました」
心理カウンセラーの勉強を進めるうちに、「成長しなければ」という思いから解放されたマユミさん。今は「自分の変化を受け入れる心地よさ」を味わっているそう。そして、カウンセラー資格必須の企業で契約社員として働いています。
「離婚騒動の時は、頭打ち感から『明日がこなくていい』と思ったことも。でも今は、どんなこともやってみなければわからないと感じています。未来が明るいかはわかりませんが、暗いイメージはありません。そして、自分の未来を肯定的に感じています」
離婚という大きな喪失体験をきっかけに、自分と徹底的に向き合ったマユミさん。カウンセリングを通して彼女が行ったのは、棚上げにしてきた課題への取り組みと、「自分を新たに作った」というほどのアイデンティティの組み替えと立て直しです。
人生の正午になって見えた影。それを光とともに受け入れた先に待っていたのは、「人の悩みを聞く」という新たな使命感と深化したアイデンティティでした。
マユミさんにとってミッドライフクライシスとは、人生の午後を新たに生きるための、準備期間だったと言えるでしょう。
(ライター 吉田渓)
[nikkei WOMAN Online 2014年8月11日付記事を基に再構成]
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