女性が示す被災地復興の道 神戸から東北へ阪神大震災から20年

2015/1/17
17日で20年を迎えた阪神大震災の復興に、地域に密着した女性たちの力は欠かせなかった。その気づきは以後の災害でも生かされ、まだ復興途上の東日本大震災の被災地でも女性たちが地域の再生に大きな力を発揮している。

阪神大震災で家屋の倒壊や火災など甚大な被害があったJR六甲道駅(神戸市灘区)周辺。その一角にある「生きがい活動ステーション」は連日、老若男女でにぎわう。地域での起業や活動を考える人らの学びや交流の場にと、NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)などが昨年6月に開いた。

地域のために活動する個人や組織を支援するコミュニティ・サポートセンター神戸の中村順子理事長(神戸市東灘区)

震災前、福祉の有償ボランティアにやりがいを感じていたCS神戸理事長の中村順子さん(67)。震災直後に「東灘・地域助け合いネットワーク」をつくり被災者支援のボランティアを始め、翌年の1996年にCS神戸を立ち上げた。「支援を受け続けるだけでは復興は進まない。被災者が自立することが復興につながる」と考えた。

地域のために活動する個人や組織を支援する一方、障害者を雇い違法駐輪を監視するなど独自の事業も幅広く展開してきた。震災後に高齢女性が集えるよう地域の診療所に開設した「ふれあいサロン」は今も9カ所で続く。当時、全国から集まったボランティアに提供した地域の主婦たちによる炊き出しは、栄養バランスなどが好評で、現在は高齢者向けに配食するコミュニティ・ビジネスに発展している。

「女性の持つ生活に根ざした視点や感性、柔軟な発想はいつも大きなヒントになった。横のつながりを大切に地域を作ってきた女性の持つ力は大きいことを震災で学んだ」と話す中村さん。室崎益輝・神戸大名誉教授(70、都市防災学)は「地域に密着して住民の力を引き出し、企業とも連携して新事業を次々と提案、実現する。神戸全体の復興は中村さんなくして語れない」と評する。

復興の政策決定に女性が参加することの重要性を訴えるのは大阪府立大客員研究員の山地久美子さん(家族社会学)だ。ハワイ留学から神戸市北区の自宅に一時帰宅中に震災が発生。海外での研究の合間に戻る地元で、復興を話し合う公的な場に女性が参画していないのが気になっていた。

女性視点の復興の大切さを説く山地久美子さん(神戸市中央区)

98年の帰国後、兵庫県や神戸市などの防災会議の女性委員比率を調べ、女性の積極的な登用を国や自治体に提言。神戸市内に多い外国人も含め女性が街への思いを語れる場を作った。

2011年3月の東日本大震災後は調査や支援に通い「阪神同様、女性の影が薄い」と感じた。3カ月後、阪神大震災経験者と共に「復興に女性の視点と力を考慮して」と内閣府に提言。「声を上げられる環境作りを」と昨年、岩手県陸前高田市など6カ所で「女性の復興カフェ」を開いた。

将来に不安を漏らす女性らに、山地さんは「生活の主権者として女性が街づくりに積極的になれば、より良い復興の姿が描けるはず」と励ます。

行政が女性の声を聞き成功した例もある。津波で壊滅的な被害を受け、高台への集団移転を進めている宮城県石巻市の十三浜地区。当初、移転に向けた会合は年配男性だけ。同地区の復興担当だった市職員、今野照夫さん(53)が新潟県中越地震で被災した旧山古志村で「地域の復興には女性の声が不可欠」と助言され、女性27人を集めた。

「小学校は統合するのか」「徒歩圏内に買い物できる店がほしい」など生活に密着した声が次々出た。1戸あたり土地100坪以下という上限も「漁具の置き場や作業場が必要」との指摘で、二世帯住宅なら200坪までという解決策が生まれた。「男性の集会より発言が率直で、話が早く進んだ」(市側)

その後、女性中心の住民グループも発足。海岸の復旧など街づくりに女性の参加が増えた。代表の佐藤尚美さん(41)は「男性は大きな絵を描くのが得意。女性が細やかに色つけしていくとうまくいくのでは」と話す。

東京電力福島第1原子力発電所事故の影響も残る地域に、新たな農業と繊維産業を興そうと奮闘する女性もいる。

ボランティアと作付けしたコットンを収穫する「いわきおてんとSUN企業組合」の吉田恵美子代表理事(福島県広野町)

福島県広野町の海に近いコットン畑。14年12月、隣のいわき市のいわきおてんとSUN企業組合代表理事、吉田恵美子さん(57)が東京から来た10人余りのボランティアと収穫作業を進めた。

津波や原発事故の風評被害で地元の農業は大きな痛手を受けた。吉田さんは塩害に強く食用でないコットンに着目、耕作放棄地などで有機栽培する事業を12年に始めた。

こだわりは「外の人を巻き込む」。人手がかかる栽培に地域外のボランティアの力を借りる。「福島の問題は簡単に終わらない。忘れられないため、風評被害を払拭するために知ってもらいたい。来てくれることが地域に力も与えてくれる」。14年、栽培は同市や広野町、南相馬市などの30カ所近く、2.6ヘクタールに広がり、首都圏を中心に2500人が携わった。

いわき市の有機野菜の栽培農家、小林勝弥さん(63)も塩害や取引停止状態で空いた農地でコットン栽培を始めた。野菜の出荷は震災前の半分だが、ボランティアがおいしいと食べる姿に「元気をもらっている」。高齢化で荒れ地も多い中山間地でも就農や里山整備に関心を持つ若者が来るのではと「新たな希望」(福島裕さん)をかける。

収穫後、コットンは人形やTシャツ、タオルにし販売している。今は人形以外は委託製造だが、地元で糸を紡ぎ繊維産業を興そうと準備中だ。

「20年以上、地域でNPO活動をしてきたのがウオーミングアップだったと感じる」吉田さん。地域の活動を避難所などでの被災者支援に、復興へと広げてきた。仲間と作った企業組合は自然エネルギー事業やスタディツアーも手掛け、復興を超え「全国のモデルになる」のが目標だ。

今年、山地さんは東北の被災地全域の女性が集うサミットを計画している。阪神から広がる女性の力が復興を支える。

(女性面編集長 橋本圭子、松浦奈美、木寺もも子)