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「奇跡の土偶」が広げる波紋 縄文と弥生のはざま

歴史新発見 青森県弘前市の砂沢遺跡

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NIKKEI STYLE

 最新の科学的手法を取り入れた発掘や調査の進展などで、歴史資料の興味深い発見や研究が相次いでいる。全国の掘り出しものの発掘品を紹介する。

「ほらね」

腹のあたりでスッパリと折れたように切り離されていた土偶の上半身と下半身が、磁石でひきつけあったかのようにピタリと重なった。弘前大の関根達人教授(考古学)は得意げな笑みを浮かべ、弘前市教育委員会の担当者を見やった。

青森県弘前市三和。霊峰、岩木山の北東麓に位置する砂沢ため池に国内で最北の水田跡が見つかった砂沢遺跡がある。関根教授はため池の水が少なくなる時期を見計らって周辺の様子を時々見に行っていたという。

2009年10月17日、楕円形の物体が2つ並んだような状態で埋まっているのに気がついた。拾い上げると土偶の下半身で、見えていたのは両足の裏だった。とりあえず関根教授は研究室に持ち帰りしばらく机の上に置いておいた。

翌年になって「青森県史」に掲載されていた土偶の写真に目を引かれた。2000年に弘前市立文京小4年(当時)の工藤雄太さんが学校の考古学クラブで砂沢遺跡に出かけ、拾ったものだった。「腕の部分が見えていてグイッと取ったら折れてしまって、首が残った」と工藤さんは発見した時の様子を今もありありと覚えている。もげた土偶の右腕や首などを家に持ち帰りきれいに洗ってボンドを塗り、形を整えると大柄な上半身になったという。

関根教授は展示されていた藤田記念庭園考古館(同市)で実物を見ていたが、写真を見てひらめくものがあった。同市教委の担当者に土偶の上半身を研究室まで持ってくるよう依頼。合わせてみると、予想通り接合した。切断部分がともに時期的に新しく、疑う余地がなかった。

学術調査などで徹底的に遺物を発掘、調べるのではなく、9年余りの時を隔て、たまたま別々に拾った上半身と下半身が完全形としてよみがえる例はほとんどなく、「奇跡としかいいようがない」と同市教委。「仮面の女神」や「縄文のビーナス」など著名な土偶のように「奇跡的に拾われた土偶」と名付け、発表した。

土偶は高さ20.1センチ、幅16.7センチ、厚さ4.8センチ。縄文時代晩期終末に東北地方で盛んに作られていた「結髪型土偶」と「刺突文土偶」の融合型。垂れ下がる髪や体の全面にわたって小さなくぼみ(刺突)があるのが特徴だ。

関根教授は「弥生時代の土偶では最も大きいサイズ。作りも丁寧で極めて貴重。土偶は呪術や儀礼のため故意に破壊したとの説があるが、この土偶は完全な形で捨てられており、土偶破壊説に対する反証としても重要」と意義を強調する。

そもそも砂沢遺跡とはどんな遺跡だろうか。周辺は江戸時代から灌漑(かんがい)用ため池として使われてきた。昭和20年代に明治大学と東北大学が相次いで発掘を行い、出土土器は「砂沢式」として縄文時代から弥生時代をつなぐ標式土器として知られていた。

1984年から5年がかりで弘前市教委が行った学術調査で、水田跡6枚、住居跡3棟などを発見。水田跡は砂沢式土器の時期に営まれたことが判明し、2400~2300年前の東北北部で最古、本州最北の水田跡として考古学関係者で知られるようになった。

出土品では、縄文時代最終末の土器の技法や器種を受け継ぎながら、甕(かめ)や壺などの弥生文化の特徴的な器種が一緒に出てきたほか、縄文時代からの石器が出る一方で、弥生時代に特徴的なノミ状の石器なども出土。「東北北部における初期弥生文化の生活の実態を知る上で極めて貴重な学術資料」と文化庁は位置づけている。

今年夏、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)では「弥生ってなに?!」という企画展示が行われた。ポスターには「奇跡的に拾われた土偶」が大きくあしらわれた。歴博の年代研究グループは2003年に放射性炭素(C14)年代測定法を使って「弥生時代は紀元前10世紀から始まる」と通説から500年もさかのぼる見解を発表。論争は今も続いている。

展示を企画した藤尾慎一郎副館長は狙いについて、「そもそも弥生時代の土偶という存在がおかしくないか、という問題意識があった」と説明する。土偶は縄文時代に祭祀(さいし)に使われたと見られている。弥生になったからといって役割が変わったわけではない。稲作をすれば即弥生ではなく、社会システムのあり方や精神性の問題を含めて判断すべきとの考えだ。

「砂沢遺跡は地形にあわせた高度な技術で水田を作っている。紀元前4世紀に作られたが、前1世紀には寒冷化により稲作を放棄した。採集狩猟生活に戻り、その後6世紀まで水田は作られていない。こうした文化までひとくくりに弥生とするのは無理がある」と強調する。

「弥生時代は水田稲作にこだわることを選び、拡大再生産を志向した点で、縄文や同時代の東アジアの農耕文化と明確にシステムが異なる時代と理解すべき」との主張だ。

「奇跡的に拾われた土偶」をはじめ青森県内で多数出土している弥生土偶について関根教授は「縄文土偶の直系の子孫で、水田稲作受容後も縄文的な祭祀が継続していた可能性は高い」と指摘する。「東北北部では縄文から弥生へは劇的に変化したわけではないが、稲作は社会を大きく変えた。遺跡の立地や数の変遷でも明らか。砂沢以降は弥生と呼ぶべき」との見方だ。

弘前大北日本考古学研究センターは10~11月、砂沢遺跡の年代測定を含めた再調査を実施。水田の広がりや何回作り替えられたか、居住形態、稲の由来などを再検討する。これまでに、灌漑(かんがい)用の水路とは別に、深さ約1メートルのV字型の溝があったことを初めて確認した。同センターは今後も様々な自然科学的分析を進め、調査結果は2016年3月ごろ公表する予定だ。

(本田寛成)

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