
「恐ろしい時間でした。救急車の音が一日中鳴り響いていました」とリマ氏は振り返る。「工房の中にいても聞こえました。工房に出勤し、一日中働き、ただ眠るためだけに帰宅する毎日でした。しかし、この機会を芸術の探求に利用し、それまでできなかったことに挑戦しました。有意義なときを過ごすことができました」
リマ氏は16年前からクレモナに暮らしており、アントニオ・ストラディバリ・バイオリン製作学校で訓練を受けた。クレモナが弦楽器で名声を得た背景にはストラディバリの存在がある。
アマティがバイオリンの父だとしたら、ストラディバリはバイオリンの巨匠だ。ストラディバリほどこの楽器の音色を高めた職人はいない。ストラディバリは1644年にクレモナで生まれ、93年後にクレモナで死去した。その生涯で1000以上の精巧なバイオリンを製作しており、1600万ドル(約16億円)の値が付いたものもある。
打撃から立ち直る
幸い、クレモナを訪れる人は裕福でなくても、ストラディバリの傑作を見たり聞いたりできる。木々に囲まれたマルコーニ広場に面するバイオリン博物館には、ストラディバリが製作した楽器が展示されており、そのホールでは、ソリストが定期的にストラディバリのバイオリンの演奏を披露している。
バイオリン博物館に展示されているのはクレモナ市とウォルター・ストーファー財団のコレクションだ。ウォルター・ストーファー財団は10月1日にストーファー弦楽器センターを開校する。センター長を務めるパオロ・ペトロセリ氏によれば、クレモナの音楽遺産の未来を守るため、全額給付の奨学金を通じて、学生には全プログラムを無償で提供するという。
クレモナにある名門の職人養成学校も、幸い運営を続けることができている。筆者がパンデミック前にクレモナを訪れたとき、アカデミア・クレモネンシスはヨーロッパ、アジア、北南米から集まった熱心な学生たちであふれていた。共同創設者のマッシモ・ルッキ氏が広大なキャンパスを案内しながら、今後の拡張計画について熱い口調で説明してくれた。今年8月、ルッキ氏は筆者に、何とかパンデミックを乗り切ることができたと語った。