フィギュアを文化に 海洋堂「好き」極めた破天荒経営海洋堂 宮脇修一専務(上)

海洋堂の宮脇修一専務(海洋堂ホビーランドで)
海洋堂の宮脇修一専務(海洋堂ホビーランドで)

フィギュアメーカーのパイオニアであり、カプセルフィギュアブームの火付け役となった「海洋堂」(大阪府門真市)。1964年に1坪半(約5平方メートル)の模型店として創業した同社は、フィギュアという「オタク」カルチャーをアートの領域まで高め、世界的に知られるメーカーとなった。会社のもうけよりも、好きなことを極めて成果を出し続けてきたのが海洋堂流の成長軌道だ。

フィギュアのテーマパークが海洋堂のお膝元、門真市に誕生した。イズミヤ門真店の3階に6月26日、開業したのは「海洋堂ホビーランド」。館長を務めるのは、海洋堂の創業者である宮脇修氏だ。宮脇館長が長年抱いてきた夢を実現させたもので、模型店から始まる海洋堂の歴史と魅力を満喫できる場所だ。

模型作りが嫌いだったプラモ店創業者

館内に入るとまず目に入るのが、海洋堂の運命を決めた一振りの木刀。うどん店か模型店かどちらの事業にするのかを決める際に、木刀が倒れた方角で占った。意外にも、模型好きが高じて始めた店だったわけではないという。

海洋堂創業者の宮脇修・海洋堂ホビーランド館長

「今でも館長は模型を作るのも組み立てるのも嫌いな人。商品を作ることによって、世の中に様々な出来事を発信する『コトづくり』が好きな人」と、息子の宮脇修一専務は語る。

入り口からさらに進むと、間口およそ3メートル、奥行きわずか1.5メートルの狭小空間が現れる。京阪電鉄土居駅(大阪府守口市)前の商店街に誕生した、海洋堂の創業当時の店舗を再現した。

自宅の玄関先で営んでいた1坪半の貸本屋を模型店に改装する形で海洋堂はスタートした。その後、3年間で改装や増築を15回も繰り返し、店舗面積は当初の12倍に、売り上げも5倍に増えた。

66年には10坪の店内に50平方メートルもある大きなプールをこしらえ、戦艦を浮かべたり、その上に板を張ってジオラマを作って戦車を走らせたりした。さらに、業界初のプラモデル展示会や模型教室の開催、店のPR誌の発行など、常識にはとらわれないアプローチには、宮脇館長の破天荒とも呼べそうな性格によるところが大きかったという。

60年代後半はプラモデル黄金時代。国内にはおよそ50社のプラモデルメーカーが存在し、全国の小学校の校区ごとに何軒も模型店やプラモデル売り場があったとされる。「当時の子供たちにとって模型店は遊び場。どうすれば子供たちが楽しめるのか、すばらしいプラモデルを売るためにはどうすればいいのかを考えて情報発信したのが海洋堂だった」(宮脇専務)。

宮脇館長のアイデアと発信力のおかげで、模型店は順調に売り上げを拡大。模型メーカーのタミヤのプラモデル戦車を日本一売るユニークな模型店として全国に名が知られるようになった。

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親から子へ自然と受け継がれた「海洋堂」流ビジネス
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