望ましい「メダルファースト」からの卒業

職業アナウンサーではない解説者たちのしゃべりが結果的に話題を集めたのは、職業アナの言葉がやや平坦に過ぎたことの裏返しとも映る。主役はアスリートであり、専門家でもない自分が出しゃばるべきではないという「謙譲の美徳」が働いたのかもしれないが、前回のリオデジャネイロ大会からせっかく5年間も準備期間があったのだから、取材や学びに基づくジャーナリスティックな見識がもっと盛り込まれてもよかった気がする。

「詳細は解説者にお任せ」式では、アナの存在意義が薄れてしまう。突っ込んだ知見では解説者に及ばないにしても、解説者と視聴者の仲立ち的な役割を果たすプロという立ち位置には、十分な意味があるだろう。その役割を果たすには、せめて解説者との掛け合いを成り立たせたり、解説者の説明不足を補ったりすることができる程度の知見が必要になる。今回はそのあたりの役割をうまく果たせず、やや段取り優先の場面が見受けられた。

スポーツ実況の「華」とも呼べるのは、記憶に残るオリジナルな言い回しだ。古くは1936年のベルリン五輪の競泳女子200メートル平泳ぎでNHKの河西三省アナが前畑秀子の決勝レースで発した「がんばれ」「勝った」の連呼が有名。アテネ五輪・体操男子団体の決勝でNHKの刈屋富士雄アナ(当時)が発した「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ」も伝説的だ。

今回の東京五輪でも倉田大誠フジテレビアナがスケートボードの西矢椛選手がトリックを成功させた瞬間、「13歳真夏の大冒険」と、印象的な表現で妙技に華を添えた。解説者ではフェンシングの山口徹氏が男子エペ団体で日本チームの優勝が決まった際、「座ってるんですけど立ちくらみが」という表現で、感無量の心境を言い表した。

今回は感情を隠さない解説者が少なくなかった。「いける、いける」「よし」といった、気持ちに突き動かされた声を発する場面が相次いだ。視聴者の気持ちを盛り上げる効果が見込める半面、あおりの度が過ぎると、かえって興ざめを誘いかねない。

横に座る局アナがこのトーンにつられてしまうと、応援ムード一辺倒に偏ってしまうから、局アナはバランスを保つ意味でも冷静さを示す必要がある。だが、今回は同調して盛り上がるケースもみられた。

圧勝した選手の姿に「何という強さ」とかぶせるだけでは、見たまんまをおさらいしているに過ぎず、深みに欠ける。「開始からわずか~秒」とか「息も上がっていません」といった描写を使って、強さを言い換える工夫が望ましい。「すごい」「美しい」といった、むき出しの肯定語を使うのは、表現者の名折れだと昔からいわれる。

選手自身が成績にこだわるのは当然としても、局アナがメダルを意識しすぎるのは、かえってアスリートをメダルで価値付けするような雰囲気を生みかねない。「これで銀以上が確定しました」「メダルにはあと一歩届きませんでした」といった、メダル主義を感じさせる言い方は時代の流れとずれ始めていると思う。

ヘルシンキ大会の競泳男子400メートル自由形で、古橋広之進が8位になったとき、NHKの飯田次男アナは「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでください。古橋の活躍なくして戦後の日本の発展はあり得なかったのであります」と、涙声で訴えた。体操の男子鉄棒で落下し、予選落ちした内村航平選手にも、こういう言葉があってよかった気がする。

かつての国威発揚の残り香を帯びた「メダルファースト」ではなく、選手の躍動をそのまま受け止める「アスリートファースト」に中継の態度も変えていく時期ではなかろうか。その場合、アナウンサーにもメダルに関係なく、見事なプレーや演技を言い表せる表現力が求められる。「勝った」「金だ」だけでは、すべてのアスリートに寄り添えない。

64年東京五輪の閉会式でNHKの土門正夫アナが語った入場行進の実況は今なお語り草だ。整然と行進する形式ではなく、選手が列を組まず、肩や腕を組んでスタジアムに入ってきたのを見て、土門アナは「国境を越え、宗教を越えました。このような美しい姿を見たことがありません」と、とっさに自分の言葉で伝えた。今回の閉会式も同様の形式で入場したが、心に残る言葉は聞けなかった。

パラリンピックが9月5日まで続く。今回は初めて日本の民放がパラ大会の一部競技を生中継する。アスリートに寄り添い、視聴者にパラ競技の魅力を伝えてくれる実況・アナウンスを期待したい。

梶原しげる
 1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。