これまでの研究から、トキソプラズマがライオンの腸内で有性生殖することと、ハイエナ科の多くがトキソプラズマに感染していることが知られていた。そこで、ローバック氏とホールキャンプ氏は、トキソプラズマがハイエナにふつうとは異なる行動をとらせるかどうかを調べることにした。
研究者たちは、数十年にわたって続けられているマラ・ハイエナ・プロジェクトに注目した。このプロジェクトでは、個々のハイエナのいる場所やほかの動物との距離、子の年齢、性別、血液サンプルなどのデータが記録されており、トキソプラズマに感染しているかどうかもわかる。トキソプラズマは一度感染すると、生涯体内に潜伏する。
分析の結果、調査対象となったハイエナのうち、1歳未満の子どもの35%、1歳から2歳までの成熟間近の71%、2歳を過ぎたおとなの80%がトキソプラズマに感染していた。
そして、トキソプラズマに感染していない子ハイエナがライオンに近づく距離が平均91メートルだったのに対して、感染した子ハイエナは平均44メートルという危険な距離まで近づいていた。この違いは子ハイエナが1歳を超えるころにはなくなっていたが、それはおそらく、生き残った個体がライオンに近づきすぎないことを学習していたためだと論文の著者らはみている。

ホールキャンプ氏とローバック氏は、この研究の限界の一つは、子ハイエナが、ライオン以外のネコ科またはその他の捕食者に対しても大胆になるのかどうかが不明であることだと言う。子ハイエナの行動の変化が確認されても、それはハイエナがライオンに殺されやすくなるようにトキソプラズマが進化したせいなのか、それとも偶然の影響なのかなどについてはさらなる研究が必要だ。
人間社会に影響を及ぼしている可能性も
トキソプラズマが人間に及ぼす影響を研究している米コロラド大学の研究者ステファニー・ジョンソン氏は、今回の研究には関わっていないが、この研究はこれまでの常識を覆す「ゲームチェンジャー」であると称賛する。「トキソプラズマが哺乳類の行動にかなり強い影響を及ぼすことが確認されました」。もしかすると私たち人間も、それに含まれるかもしれない。
トキソプラズマに感染した人のほとんどは軽く発熱するだけで速やかに回復するものの、胎児には重篤な障害をもたらす可能性があるため、妊娠中の女性はネコのトイレ掃除をしないように呼びかけられている。さらに、トキソプラズマに感染した人は、危険な運転をしたり、新しいビジネスを始めたりするなど、リスクの高い行動をするようになるという興味深い証拠もあり、議論を呼んでいる。
これらの影響は、トキソプラズマが宿主を操るために引き起こす一連の変化の一部であり、寄生虫は、私たちがまだ気づいていない方法で人々の行動に影響を与えている可能性があるとジョンソン氏は主張する。このように考える研究者は氏だけではない。
「トキソプラズマは、人間に対しては基本的に無害な寄生虫だと思われています。けれども、こうした影響を見てみると、人間の行動にかなり大きな影響を与えている可能性があります。もしかすると社会レベルで影響を及ぼしているかもしれません」とジョンソン氏は語る。
(文 CARRIE ARNOLD、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年7月11日付]