眉骨が突き出た奇妙な頭 謎呼ぶ「竜人」は新種なのか
1930年代初頭、今の中国黒竜江省のハルビン近郊で、地元の人が川の泥から奇妙な頭骨を発見した。ほぼ完全な形をとどめたその頭骨は、眉骨が大きく突き出ており、その下に四角い眼窩(がんか)があった。
何より尋常でなかったのは大きさだ。「巨大なんです」と、この頭骨の研究に携わった英ロンドン自然史博物館の古人類学者クリス・ストリンガー氏は語る。
見つけた男性は、使われなくなった井戸の中に頭骨を隠した。それから90年近くたった現在、この骨が新種の人類のものであるとの研究成果が、2021年6月25日付で学術誌「The Innovation」に掲載された。新たに付いた学名はHomo longi(ホモ・ロンギ)、「竜人」といった意味だ。
同誌にはこの頭骨について、さらに2つの論文が掲載された。一つは年代に関するもので、この頭骨は少なくとも14万6000年前に死亡した男性のものである可能性が高いとわかった。もう一つは、この頭骨の解剖学的な特徴から、人類の進化史のなかの位置付けを試みた研究だ。
3本の論文に名を連ねる中国科学院の古人類学者シージュン・ニー氏は、「これまでに多くの人間の頭骨や化石を手にしてきましたが、このようなものは初めてです」と語る。
研究者たちは、「ハルビンの頭骨」と呼ばれるこの化石の形や大きさ、ほかの化石との比較から、これがアジア各地で発見された同時代の人骨化石ときわめて近い関係にあると考えている。さらにこれらの人類が、ネアンデルタール人と比べても、私たちホモ・サピエンスにより近いグループに属しているのではないかと提案している。
「素晴らしい化石です」と話すのは、スペイン国立人類進化研究センター長のマリア・マルティノン=トレス氏だ。氏は今回の研究には関わっていない。
しかし、今回提案されたグループ分けと種は、科学者の間で議論を巻き起こしている。なかには謎多きデニソワ人と竜人とのつながりを示唆する専門家もいる。デニソワ人はネアンデルタール人と近縁のグループで、数本の歯、頭骨の一部、小指の骨、顎のものと思われる骨など、わずかな化石しか見つかっていない。
マルティノン=トレス氏はハルビンの頭骨について、保存状態の良さやその特徴には興奮していると述べつつ、「現時点では、すでに知られているほかのグループとの違いがはっきりわかりません」と述べる。
頭骨が語るもの
頭骨を発見した男性は生前、隠し場所を孫たちに明かしており、18年に骨が回収されることになった。
頭骨は保存状態が非常に良いだけでなく、前述のように、古い人類の特徴と現代の人類の特徴が混在していた。「ショックを受けました」と、ニー氏は振り返る。ハルビンの頭骨はずんぐりむっくりしており、眉骨が非常に発達している。これらは現生人類にはあまり見られない特徴だ。一方、ほお骨がきゃしゃで平たく、低い位置にあるなど、私たちに似た特徴も備えている。
「眼窩をのぞき込むと、とても不思議な感覚に襲われます」とニー氏は言う。「何かを伝えようとしているのではないかと、いつも考えてしまいます」
調査を開始したチームは、ヒト属(ホモ属)のさまざまなグループの頭骨、顎骨、歯の化石95点から情報を収集し、600以上の特徴を明らかにした。その後、スーパーコンピューターを使って系統を分析、ハルビンの頭骨は、私たちホモ・サピエンスに近いところに出現する、新しい枝に属すると結論を出した。
「これを見て驚きました」と言うのは、化石のグループ分けと年代を決定した2つの研究の著者であるストリンガー氏だ。同氏は、ハルビンの頭骨はネアンデルタール人の子孫だと予想していた。
ハルビンの頭骨はいくつかの点でほかの人類と異なるため、別の種として命名されるべきだと、チームの一部は考えた。新種を記載した論文の著者であるニー氏は、竜人を特徴づけるものとして、著しく四角い眼窩、長くて低い脳頭蓋、頭骨の正中線に沿った隆起がないことなどを挙げる。
「ほかとの違いは、一つの特徴だけではありません」と同氏は言う。「組み合わせのようなものです」
竜人をめぐる議論
しかし、チームのほかのメンバーや外部のすべての専門家が竜人を独立した種と認めているわけではない。また、人類の系統樹における相対的な位置についても同意していない。
英リバプール・ジョン・ムーア大学の生物人類学者、ローラ・バック氏は、この頭骨の特徴の多くは、程度の問題のように思われると言う。同じ種であっても、ある程度の違いはあるものだ。性別、年齢、地域的な適応、化石の年代など、多くの違いがそれぞれにわずかな変化を生む。
独立した種でないとすれば、竜人は何者なのか? ストリンガー氏は、今回の研究でハルビンの頭骨と同じグループに分類された「ダリ頭骨」に、同じく現代的な特徴と古い特徴が混在していることを指摘している。中国北西部の陝西省で発見されたこの頭骨は、「ホモ・ダリエンシス」という独自の種と考えられている。
「人類学ではすでに種名が氾濫しています」とカナダ、トロント大学の古人類学者であるベンス・ビオラ氏は付け加える。同氏は、竜人をホモ・ダリエンシスに分類するか、種名を付けずにおくのが望ましいと考えている。なお、同氏は今回の研究に関わっていない。
さらに、竜人は謎に包まれたデニソワ人であるという可能性もある。デニソワ人は、正式な種としては認められていないが、数万年にわたりアジアに居住していた可能性が高く、アジアの化石の多くが属するのではないかと言われるグループだ。しかし、わずかな化石の痕跡しか見つかっていないため、遺伝子による確認が必要とされている。
19年、科学者たちはチベット高原でデニソワ人と見られる顎の骨の一部を発見したと発表した。この骨は、グループ名の由来となったデニソワ洞窟以外で発見された、最初のデニソワ人の化石とされている。
今回提案された系統樹によると、竜人は「夏河(かが)の下顎」と呼ばれるこのチベットの化石に最も近い関係にあるという。「両者はおそらく同じ種に属するでしょう」とニー氏は言う。ただし、同氏はこの顎を(ひいては竜人を)デニソワ人に分類することについてはちゅうちょしている。
一方、デニソワ人を最初に記載したチームの一員であるビオラ氏は、夏河の下顎はデニソワ人と考えることが最も論理的であると言う。しかし、仮に竜人がデニソワ人であったとしても、今回の分析の結果、ハルビンの頭骨と夏河の下顎を含む系統樹の枝は、ネアンデルタール人とは別のものになると指摘する。
そうだとすると、これまでのデニソワ人の遺伝学的研究で示されたストーリーと矛盾することになる。先行研究では、ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先は、約60万年前にホモ・サピエンスの前身から分かれたことが示唆されている。その後2つのグループに分かれ、ネアンデルタール人はヨーロッパや中東に広がり、デニソワ人はアジアに移動したとされる。
これらすべてのグループ同士には「密接な関係があり、解決するのは難しいでしょう」。ドイツ、エバーハルト・カール大学テュービンゲンの古人類学者、カテリーナ・ハーヴァティ氏はメールでそう語る。「おそらくこれは、もっと多くの証拠が出てきたときに、より詳細に検討する必要があると思います」。なお、氏は今回の研究には参加していない。
今後、さらなる証拠が出てくるかもしれない。今回の論文に関わったチームは、竜人の遺伝子分析の可能性を探っていると二ー氏は言う。しかし、それには化石のサンプルを少量、破壊する必要があるため、作業は慎重に進められている。
(文 MAYA WEI-HAAS、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年7月1日付]
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