Web上で検索してみると、アジの干物の作り方はとてもシンプル。内臓を取り除き洗った後、塩水に1時間程度つけたものを半日以上干すだけのようだ。これならば、生魚の匂いをめっぽう嫌う仏人配偶者の帰宅前に干し終わり、証拠隠滅することができるはず。ふふふ。
早速、アジの下処理という名のオペに取り掛かろう。気分は失敗しない女、ドクターXだ。開く過程はグロテスクなので割愛するが、無事にアジを開くことができた。よく洗い、塩水に1時間ほどつけたら、水気をよく拭き取ってザルの上にのせる。
パリの気候は年中乾燥しているため、アジは半日で表面が乾いた。一晩冷蔵庫に入れておき、翌日の昼、自作アジの干物定食をひとり満喫することにめでたく成功したのである。
窓際で気持ちよさそうに日光浴をするアジの姿を眺めながら、ふと思った。私はなぜ、こんなにも干物を欲するのだろうか。そういえばフランスでもタラの塩漬けなどはよく見るのだが、アジをはじめとした魚の干物のようなものは、見かけたことがない。好奇心がたきつけられてきた……。
日本人と干物の深くて長い関係
日本の干物についてもっと深く知りたい! 早速、「干物沼」にダイブすることにした。
そもそも「干物」とは、腐りやすい魚介類に塩を振り、干して乾燥させることで魚に含まれる水分量を減らす。その結果、水分中で活動する細菌などの微生物が活動できなくなる(=腐りにくくなる)ため保存性を高めることができる、という先人の知恵の産物だ。
農林水産省のホームページによれば、古くは奈良時代、宮廷への献上品としても使われたそうだ。江戸時代に入り、江戸や大阪などの大都市周辺の漁村でアジやイワシ、タコ、イカなどの干物づくりが行われるようになり、一般庶民にも広がったのだという。
水産加工統計(2019年、農林水産省発行)によると、日本における「塩干物」の生産量は1位がホッケ(約26%)、2位がアジ(約18%)、3位がサバ(約16%)である。
中でも、春から夏に旬を迎えるのが、筆者がパリでも干したアジだ。調べてみると、日本のアジの干物の生産量の約4割を占めている都市があった。それが、静岡県沼津市だ。
沼津市産業振興部水産海浜課の坂本一樹さんによると、沼津市はもともと、駿河湾や伊豆近海から新鮮なアジが水揚げされることに加えて、干物加工に必要な湧水(富士山の雪解け水)が豊富。低い湿度、少ない雨量、強い西風という気候条件に恵まれ、さらに東京に近いという地の利もあって、古くからアジの開きの名産として知られてきたという。
沼津では、江戸時代の明和5年(1768年)にアジの「ひらき」という言葉が使われていたのが確認されている。職人の知識や経験が脈々と引き継がれた結果、「干物といえば沼津」と、地域ブランドとしてその地位を確立することとなった。沼津市のふるさと納税の返礼品としても好評を博しているほか、こんな取り組みもしている。
「非公式ではありますが、7月1日の沼津市の市制記念日に合わせて、『沼津ひものの会』が『沼津ひものデー』とし、ひものの販売会や無料配布などを行っています」(坂本さん)という。
さらに干物について掘り下げていたところ、「骨を取るのが面倒」という干物の概念を根底から覆す、ユニークな製品を発見した。干物加工に重要な良質の水を得るために四国最高峰・石鎚山のふもとに本社・工場をかまえるキシモト(愛媛県東温市)が販売する、骨まで食べられる干物「まるとっと」だ。