全盲のIBM女性フェロー、科学未来館館長として発信
2021年4月、日本科学未来館(Miraikan)の新館長に浅川智恵子さんが就任しました。2001年の開館当初より、館長を務めてきた毛利衛さんに次ぎ、2人目の館長となりました。浅川さんは中学2年生のとき、事故により失明。障がい者の選べる職業が今より少ない中で出合ったのがプログラミングでした。浅川さんが技術者として今まで歩んできたキャリアや新館長になった意気込みを聞きました。
新館長への打診は突然 「とんでもない大役に戸惑う」
編集部(以下、――) 2021年4月から日本科学未来館の新館長に就任する打診がきたときは率直にどのような感想を持ちましたか。
浅川智恵子さん(以下、浅川) 20年間にわたり館長を務めていた毛利衛さんの後任ということで、大変な責任を感じました。
―― どのような経緯で館長に任命されたのでしょうか。
浅川 科学技術振興機構(JST)の浜口道成理事長からお誘いいただいたのがきっかけです。とんでもない大役なので生半可な気持ちで受けてはいけないと思いましたし、私は日本IBMの研究員として米国を拠点にしていたこともあり、すぐに返事はできませんでしたね。
しかし、「日本の遅れているダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)を浅川さんの経験を生かして推進してほしい」という浜口理事長の言葉に自分が館長を務める意義を感じ、「ぜひやらせていただきたい」と受けることに決めました。
―― 日本IBMでの研究と日本科学未来館・館長の両立に不安はありましたか。
浅川 なかったと言えばうそになります。実際、仕事の量も一気に増えてとても忙しくなりました。それに、米国から帰国するという生活の変化に対しても不安な気持ちはあります。
しかし私は一度選んだ道はやり切ると決めているので、この選択に後悔はありません。「困難でも諦めずに立ち向かう」という思いは、自分の中に強い信念として持っているんです。
「私にしかできない仕事」を探す 技術者の道へ
―― 「困難でも諦めない」という思いはどのような原体験から生まれたのでしょうか。
浅川 小学校高学年のときにプールで目をケガして徐々に視力が落ち、中学2年生のとき完全に失明しました。当時の私は体育会系。本気で水泳のオリンピック選手を目指していたため、「この先、どういう人生を進めばいいんだろう」と悩みましたし、これまでできていたのにできなくなったことがたくさんありました。でも、オリンピックを目指していたこともあり、私は負けず嫌いな性格なんです。この先の未来は、諦めたくないと思いました。
高校は盲学校へ進学。目が見えない中で生活ができるようさまざまなトレーニングを受けました。「目が見えないからといって夢を諦めず、自分にしか就けない仕事をしたい」と強く思いました。
―― なぜ、技術者の道を歩むことになったのでしょうか。
浅川 高校卒業後の進路で最初に選んだのは、実は語学の道なんです。目が見えなくても言葉の壁は越えられるだろうと。大学では英文科に進み、翻訳家を志しました。しかし、一つの会議を翻訳するには莫大な紙の資料から情報収集しなければならないと知り、自分には難しいと判断しました。
再び進路を模索していたところ、テレビで「目が見えなくてもエンジニアになれる」というニュースを耳にしたんです。当時、国内で2つだけ視覚障がい者も学べるプログラミングの専門学校がありました。職種としても可能性を感じ、テレビで紹介されていた専門学校に進学することにしました。
―― もともと情報技術やプログラミングに興味があったわけではないんですね。
浅川 文系なので、むしろ苦手分野でした。最初は授業についていけず、「選択を間違えたかもしれない」と思ったことも(笑)。でも一度決めたことは絶対に諦めたくない。必死に勉強し、卒業後は日本IBMの東京基礎研究所で学生研究員に。与えられた課題に取り組み、正式に日本IBMで採用されました。以後35年以上、同じ会社に勤務しています。
女子中高生に理系の道があることを知ってほしい
―― どのような研究をしているのでしょうか。
浅川 主にアクセシビリティ(利用のしやすさ。特に障がい者が使えるようにする)技術の研究に携わっています。国内で点字のデジタル化システムや障がい者向けの音声システムなどの研究を行った後、現在は米国IBMで研究を続けています。
―― 日本と米国、両方で働いてきた浅川さんから見て、日本の技術研究現場にはどのような課題を感じますか。
浅川 ダイバーシティという観点では、米国に比べて、女性の技術者がまだまだ少ないという課題があります。私が教授を務めている米カーネギーメロン大学の情報科学部では学生の男女比が半分半分。日本では想像できない比率ですよね。
カーネギーメロン大学は女子学生を増やすため、さまざまな取り組みをしています。例えば、入試試験では技術力だけでなくコミュニケーション力やリーダーシップ力も評価対象にしています。さらに学校内に女性のメンターがいて、女子学生の学校生活をサポートする仕組みも整えています。
とはいえ、私が技術者として働き始めた35年前に比べると、日本でも女性技術者が登用される機会は確実に増えています。この流れを加速させるため、私自身、女子中高生が参加する講演会に登壇するなど、進路の選択肢として理系の道があることを知ってもらう取り組みに力を入れています。
子どもから高齢者まで楽しめる日本科学未来館に
―― 新館長として今後、日本科学未来館ではどのような取り組みをする予定でしょうか。
浅川 さまざまな人たちに来館してもらえる環境づくりに尽力したいです。
その一つが展示やイベントの内容。日本科学未来館といえば、「子どもが集まるところ」とイメージする人もいるかもしれません。もちろん親子で楽しめる展示やイベントもありますが、環境科学や宇宙工学など、大人も興味を持ってもらえそうなものもたくさんあるんです。現役研究者である私が館長になったので、最新技術の紹介などもより推進していきたいですね。
また、私のように障がいのある人や高齢者が楽しんでいただけるような仕組み作りも考えていきたいです。自身の経験も生かしたいですし、来館者の声も積極的に伺っていきたい。
日本科学未来館には子どもから高齢者まで、未来のことを考えるうえで必要な情報がたくさんあります。年齢や性別、理系・文系など関係なく、いろいろな人たちにとって学びのある場所にしていきたいと思います。
(取材・文 橋本岬=日経xwoman編集部、写真提供 日本科学未来館)
[日経xwoman 2021年6月1日付の掲載記事を基に再構成]
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